歌舞伎いろは
【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。


驚く人々

其の一 初午から学びも始まる

 貨幣経済が浸透し町人文化が急激に成長していく中で、江戸庶民の大きな楽しみであったのが歌舞伎。役者が着用する着物や帯の結び方、模様や色彩はすぐに評判となり、流行に敏感な商家の娘などがすぐに取り入れていたといいます。今で言う、セレブファッションが流行を創っているようなものでしょう。

 町人のあいだのファッションへの熱は、加速する一方でした。その勢いは、幕府がたびたび発する「奢侈(しゃし)禁止令(過度な贅沢を禁止すること)」などの禁令もすぐに効力を失うほど。

 そんな中、人々を楽しませたのが「衣装くらべ」です。「衣装くらべ」は「伊達くらべ」とも呼ばれ、見た目の良さ、派手さ、豪華さを競い合いました。1700年頃に成立した『武野燭談』(作者不詳)に、こんなエピソードが。

 当時、江戸で一番のオシャレを誇っていた豪商石川六兵衛の妻は「衣装くらべ」の相手を求めて京に上ります。そこで偶然出会ったのが、京の一番のオシャレ 難波屋十右衛門の妻。緋繻子(赤色で、光沢がある厚い生地の絹)に洛中の図を縫い取りしてあるという小袖の十右衛門の妻に対し、六兵衛の妻は、シンプルな黒羽二重(経糸を2本使って織った高級な布)に南天が刺繍してある着物です。一見して目を引くのは十右衛門の妻の絢爛豪華な着物でしたが、よく見ると六兵衛の妻の着物の南天は、ひとつひとつ縫い付けられた砕いた珊瑚だったのです。これには見物人はみな度肝を抜かれ、軍配は江戸、石川六兵衛の妻に上がったのでした。


くらしの今と昔

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