歌舞伎いろは
【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。


其の二 オシャレの行き過ぎで遠島に!?

 このように、江戸時代の人々は衣替えを重んじ、式日には礼装を心がけました。 式日の中でも特筆すべきは、「八朔(はっさく※3)の祝賀」(家康が江戸に入城した8月1日を祝う「お打ち入り」の祝賀)の日。

 「戦塵の汚れを雪(そそ)ぐ」意から、将軍は白帷子に長裃を着用しました。同様に、この日に登城する大名や旗本たちも同じ白づくめの姿で祝ったといいます。また大奥でも、御台所以下全員が、白地の小袖を着用しました。縮緬(ちりめん)に羽二重を重ね、その上に白さらしと掻取を着たのです。大奥女中の人数は、最盛期で1000人とも3000人とも言われるほど。それだけの女性が全員、白い衣装をまとった景色は、清らかにして荘厳だったことでしょう。

 また、大奥では、御台所をはじめとする高位の女性たちは、式日には髪型も変えました。「おすべらかし」という髪形で、もともとは平安時代の貴族女性の髪形のこと。大奥の武家風のおすべらかしは、前髪を広く取り上げ、両鬢(びん※4)から後ろにかけて張紙を入れてふくらませて固め、髷(まげ)の部分だけ解き、その先に髢(かもじ※5)をつけて長く垂らしました。この髪型にすると、うっかり髪をどこかにひっかけてしまうことがあり、動きが不自由になったそうです。

 ちなみに、大奥の女性たちの絢爛豪華な衣装や武士の格式ばった装いは、「外見を派手に飾るのは野暮、見えないところにお金をかけるのが『粋』」とする町人からは、嘲笑を買っていたようです。

大奥の女たち

八朔(はっさく※3):陰暦の八月朔日(ついたち)のこと。また、その日に行われる行事
鬢(びん※4):頭髪の左右側面の部分
髷(かもじ※5)女性が髪を結うとき添える毛


くらしの今と昔

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