歌舞伎いろは

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舞台を通して、受け継がれる芸

イベントがあった2008年12月、富十郎さんと長男鷹之資君は『名鷹誉石切(なもたかしほまれのいしきり)』で歌舞伎座にご出演中でした。

 中村富十郎さんと金田栄一さんのお付き合いは大変長いようで、お二人のお話は楽屋でのおしゃべりのような楽しさに満ちていました。歌舞伎通にはたまらない話題も多く、会場のみなさんの中には、ペンを手にじっとメモを取られる方もたくさんいらっしゃいました。舞台写真などをスライドで上映しながらのお話の一部を、ちょっとご紹介しましょう。

金田栄一(以下、金田) このたびは文化功労者にご選出されたとのこと、おめでとうございます。私たちは、富十郎さんとお呼びするよりも天王寺屋さんと言うほうが馴染んでいますが、今日は富十郎さんでいきましょう。この写真は『船弁慶』ですね。

中村富十郎(以下、富十郎) 『船弁慶』は、富十郎襲名の時に大阪で踊っているので思い入れは深いですね。それにこの長唄が名曲! オキ(序曲)を聴いているだけで、いいなーと思いますね。『船弁慶』を最初に東京で踊ったのは東横ホールだったんですが、そのときに先代の勘三郎さまの奥様(六代目菊五郎の長女)が見に来てくださって、とても誉めてくださったんですよ。それで、「父(六代目菊五郎)の使った中啓(松羽目物などでよく使われる格の高い扇)を貸してあげる」っておっしゃって。とても感激したことを覚えています。

金田 『船弁慶』は、前シテの静御前と後シテの平知盛がありますが、やはりそれぞれにむずかしいのでしょうね。

富十郎 もちろん両方むずかしいんですが、知盛っていうのはどうしても勢い余ってやりすぎちゃうんですね。でも、抑えてやらなきゃいけないんですよ。そこがなかなかね。

金田 『船弁慶』は上演回数は、相当いっているでしょうね。

富十郎 回数が一番多いのは六代目さん(六代目菊五郎)。その次が私だそうです。そうそう『船弁慶』に幕外をつけたのは六代目さんなんだそうですよ。

金田 お若いころの思い出で、なにか印象深い出来事はありますか。

富十郎 今の三津五郎君のおじいさんにあたる八代目三津五郎さまにね、よくかわいがってもらいましたよ。なんだか学校の先生みたいな方で、私が10歳くらいのとき「お伊勢さんにお参りしたことがあるか」って言われて、行ったことがないというと10人くらいで連れていかれたんですが、列車の網棚に乗せられましてね(会場・笑)。他にも、修学院離宮を見なさいとか、お能を見なさいとかね、いろいろご指導いただきました。

金田 八代目三津五郎さんは博学でしたし、骨董にもかなり通じておられましたね。続いては、息子さんの鷹之資くんと愛子ちゃんの写真にまいりましょう。

富十郎 鷹之資もお陰様で9歳になりました。中村大の名前で、1歳11カ月で初舞台でした。いやだいやだと泣いてね(笑)。大変でしたが、セリが上がったとたんにぴたっと泣きやんでくれて。でも、慣れてくると時々寝ちゃうんです(会場・笑)。

金田 愛子ちゃんのときもいろいろありましたね。

富十郎 そうそう(笑)。一週間、泣いてましたね。それに舞台へ出ても、走り回ってどこへいっちゃうか、わからない。清元の裏へ行って、足をくすぐったり(会場・笑)。でも、二人とも踊りなどをしっかり稽古してくれていますよ。

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