人とデザインの脈流

INAXライブミュージアムの中にある
「世界のタイル博物館」


 生活文化への理解を深めながら、オリジナリティあふれるデザインを追究する企業、INAXは歴史的なタイルの原料や製造過程を研究し復刻をしています。
 このページでは、愛知県・常滑市にあるINAXライブミュージアムの中から、人類が遥かな歴史の中で生み出してきたデザインを物語る貴重な展示をご紹介してゆきます。

モダンタイルを作り上げたクラフトマンシップⅠ

写真1 窯のある資料館 外観

 常滑にあるINAXライブミュージアムには、工業用設備としての役目を終えた2つの窯(かま)が保存展示されています。やきものの世界では「一に焼き、二に土、三に細工」と言われるように、「焼き」は最も重要な技術であり、やきものの技術の発展と共に設備としての窯も進化してきました。保存展示されている2つの窯は、当時の職人たちの技術をも我々に伝えてくれています。今回は、大正10年から昭和45年まで使用されてきた「倒炎式(とうえんしき)角窯」と呼ばれる窯(写真1・2)を紹介します。

 中世の頃から常滑では窯業が栄え、始めは知多半島の丘陵地という地の利を活かした穴窯が築かれ、甕(かめ)や壷、山茶碗、小皿などを生産し、その後16世紀になって大窯に変換し、江戸時代末には、登り窯が築かれました。明治34年に、薪を燃料に使った燃費の悪い登り窯に代わるものとして登場したのが、石炭を燃料とする倒炎式角窯です。この窯の登場で、坂を昇り降りする重労働から開放され、薪よりも安価な石炭が使え、従来の共有式から個人で窯を築くようになって生産効率も向上しました。その後、昭和中期まで倒炎式角窯は常滑中に作られ、全盛期には約400本の煙突から黒い煙をあげていたそうです。

写真2 倒炎式角窯 内部



 400もの数の窯で生産されてた主な製品が土管(写真3)でした。 明治の初めに大都市の下水道工事や鉄道敷設で大量の土管が必要になり、当時イギリスからの輸入に頼っていたものを国産で対応することになり、日本で初めて国産の土管を作ったのが常滑の職人でした。
  常滑でれんが、テラコッタ、タイルなど数々の近代窯業を手がけてきた鯉江方寿(こいえほうじゅ)が、改良した登り窯で通常より強度があり、水漏れのない土管をつくりあげ、世の中に認められたのです。その後、大量受注を受け生産量増が求められ、効率がよく且つ品質の安定した土管を作ることができた倒炎式角窯が大量に常滑に作られていったようです。

写真3 土管生産の様子(昭和初期)

 窯の内部は、創建当時は白い耐火煉瓦でしたが、土管の表面の釉薬(ゆうやく=うわぐすり)が移り付き、独特の雰囲気を醸し出しています(写真2)。この理由は、「塩釉(えんゆう、又は、しおぐすり)」と呼ばれる特殊な焼き方をしたことに由来するものです。ここでは詳しい説明は省きますが、「塩釉」とは、簡単にいうと窯の中で焼きながら土管の表面にガラス層(釉薬)を作る方法であり、他の方法で作る土管よりも強度と品質に優れていたそうです。この窯には、当時の職人が技術を磨き、工夫を重ねながら他の地方よりも優れた土管を生産しようとした技術開発のノウハウが至るところに詰まっています。

 工業製品にとって、他社製品との差別化こそが生命線であり、差別化へ向けた研究開発が、昔も今も延々と続いています。 2007年、この窯は近代産業遺産として登録されました。常滑の歴史の1ページを飾るこの窯は、当時の技術者や職人が研究と工夫を重ねて他社との差別化を求めて日夜努力した跡を我々に伝えてくれています。

文:愛知県常滑市INAXライブミュージアムものづくり工房 後藤泰男

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