江戸職人(クラフト)手帖
人とデザインの脈流

INAXライブミュージアムの中にある
「世界のタイル博物館」
生活文化への理解を深めながら、オリジナリティあふれるデザインを追究する企業、INAXは歴史的なタイルの原料や製造過程を研究し復刻をしています。
このページでは、愛知県・常滑市にあるINAXライブミュージアムの中から、人類が遥かな歴史の中で生み出してきたデザインを物語る貴重な展示をご紹介してゆきます。
古便器から考える日本人の美意識Ⅰ 「陰翳礼讃」

写真1 樋箱(上部)
ミュージアムの「窯のある資料館」の2階には、江戸時代の将軍様が使用した木製トイレから、江戸後期〜明治、大正と盛んに作られた染付け古便器が展示されています。今回はこの江戸時代の木製のトイレについて紹介しながら、明治末期から第2次世界大戦後にかけて活動した小説家の谷崎潤一郎が、日本のトイレから論じている日本人の美に対する考え方を紹介します。
写真は江戸城本丸ご休憩之場の御用場(=トイレ)で、将軍が利用した「樋箱(ひばこ)」です。当時の絵図を元に復元した「樋箱」とは、貴人たちの間で古くから使われていた引出のついた便器のことで、現代の「おまる」と同じ意味です。ちなみに「おまる」の語源は、排泄するという意味の「放る(まる)」であると言われています。この樋箱の中に灰や砂を入れて、畳の間の中央に仕込んだ四角い穴に差し込んで使います。鳥居のような部分は衣隠しと呼ばれ、着物の裾を引っ掛けておくためのものです。

写真2 樋箱(下部)
この「樋箱」は将軍や貴族などが使用したものですが、日本での木製の便器は一般住宅においても使われ、田舎では昭和の終わりごろまで見ることができました。谷崎潤一郎は昭和8年に発表した『陰翳礼讃』において、日本の厠(=トイレ)は母屋から離れて、青葉の匂や苔の匂のしてくるような植え込みの蔭に設けてあり、実に精神が安まるように出来ているとし、「日本の建築の中で、一番風流に出来ているのは厠であるとも云えなくはない。統べてのものを詩化してしまう我々の祖先は、住宅中で何処よりも不潔であるべき場所を、却って、雅致のある場所に変え、花鳥風月と結び付けて、なつかしい連想の中へ包むようにした。」と表現しています。また、その素材も真っ白な磁器よりもできれば木製が一番いいと書いています。
ところが、日本の住宅設備の中でこのトイレは、他に類を見ない速度で進化してきました。江戸時代の終わりごろ、やきもののトイレが生まれ、昭和の中期にはそのほとんどが陶磁器製のトイレが変わりました。その後、水洗トイレの普及とともに腰掛けて用を足す洋式トイレが普及し、現在では住宅の新築、改修はほぼ100%が洋式のトイレとなりました。さらに温水洗浄器も広まり、昔の少し暗くじめじめとしたイメージはほとんど感じることはなくなりました。 不浄なものとして忌み嫌われることも多かったトイレに対し、便器は清潔感や機能を追求しながら発展してきました。改めて江戸時代の木製便器を見ながら、谷崎潤一郎が表現した「日本人が自然と暮らしながら、陰翳の中ではぐくんできた奥ゆかしい日本人独特の美への感覚」を忘れてはいけないと考えています。
文:愛知県常滑市INAXライブミュージアムものづくり工房 後藤泰男
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