【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。
想い出写真:小道具調査中の羽左衛門丈と十七世市村羽左衛門丈(中央手前横向きの人物)と50歳ごろの田中勇さん(羽左衛門丈の左、しゃがんで鉛筆を持っている人物)。右端で立ってメモを取っているのは『十七代市村羽左衛門聞書』の編者・佐貫百合人氏。 撮影:松竹株式会社 二世尾上松緑『燈台鬼』(昭和43年2月)のスチール撮影風景。松緑丈の左、スーツを着ているのが田中さん。
この時、松緑丈は撮影の役作りのために必死で汗をかこうとしていたが、そうとは知らない頭取さんが汗を拭きそうになり「こら!せっかく汗をかいているのに、拭くやつがあるか!」と怒鳴られたそうだ。 旧ソビエト・レニングラードでの1枚。 田中さんは、四代目藤浪与兵衛氏(当時・藤浪小道具社長)とともに第二回ソビエト公演(昭和36年6月〜8月)に参加。当時30歳だった田中さんは大変な刺激を受けたそうで、「今度の旅であらためて歌舞伎の伝統芸術の立派さが解ったような気がして、歌舞伎の中で働く一人として大いに頑張りたいと思う」という文章で感想を綴っている(書籍『歌舞伎ソヴェートを行く』より) これは十七世市村羽左衛門さん(1916-2001)がここ(藤浪小道具※)に調査にいらしたときのスナップ写真です。私は21歳(昭和27年)から菊五郎劇団を担当し、29歳にはチーフとして仕事をさせていただいていました。菊五郎劇団は昭和24年に創立ですから、発足初期から関わらせていただいたことになります。
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