歌舞伎いろは

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平成の大営繕修復が終わった浅草寺本堂。軽量で耐久性に優れたチタンの瓦で葺いた浅草寺本堂の大屋根は圧巻。

伝法院通りから見た浅草公会堂。シャッターには芝居の絵が描かれている。写真右の「伝法院通り」のアーチを左に曲がったところが正面玄関になる。

平成本堂大営繕修復後、浅草寺が迎える初正月

仲見世通りは平日でも観光客がいっぱい。お正月は初詣の混雑でなかなか前に進めないほどになるが、じっくりと浅草寺を眺められるいい機会でもある。

木造燈籠、番屋に天水桶、火の見櫓など、江戸の町を再現した伝法院通りには、仲見世通りとはまた違った楽しさ、味わいがある。

浅草公会堂前の「スターの広場」。アルミニウム製プレートのなかの手型とサインは、台東区が選出した大衆芸能の振興に貢献した芸能人のもの。

浅草のある台東区のお隣、墨田区の新たな観光スポットとして注目を浴びているスカイツリー。横浜など遠く他県からも見えると話題になっているが、浅草からだと迫力のある全体像が間近で見られる。写真は雷門前から通りを渡った地点で撮影したもの。

 
 いつ行っても賑わっていて、何度行っても飽きない魅力と活気にあふれた街、浅草。その浅草の賑わいの中心となる金龍山浅草寺は、初詣の人出の多さが毎年上位になるところとしても知られています。浅草寺の歴史は古く、『浅草寺縁起』の伝承によると、その開基は飛鳥時代にまでさかのぼります。江戸時代には徳川将軍家に加護され、観音霊場として多くの参詣者を集めました。

 浅草といえば、大きな提灯が吊ってある雷門がシンボルのようになっていますが、雷門は浅草寺の表参道の入口。ここから本堂前の二重屋根の宝蔵門まで続く参道にはみやげ物や食べ物を売る店が並び「仲見世」と呼ばれています。仲見世は江戸時代初期、近隣住民が境内の清掃をする見返りに参道で商売ができるようになったのが始まりだそうです。さらに江戸時代中期になると、観音堂裏手の「奥山」では見世物小屋や大道芸、揚弓場などの娯楽施設が多くの人を集めていました。

 まさに浅草寺とともに発展した浅草。平成23年の新春は、第二次世界大戦で焼失、戦後再建された本堂の大営繕修復工事が終わって初めて迎えるお正月となります。ここ2年間、本堂を覆っていた工事中の養生もとれて、急勾配の大屋根の荘厳な姿がまた見られるようになりました。

 浅草寺の大修復工事で話題となったのがチタン製の屋根瓦です。平成19年に完成した宝蔵門の修復でも使われていましたが、何と言っても今回は本堂の大屋根、規模が違います。日本瓦からチタン瓦に変更することによって、屋根の重量を約930トンから約180トンへ大幅に低減することができたそうです。

平成 劇場獨案内

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