歌舞伎いろは

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鴨川に架かる四条大橋の対岸から南座を望む。南座の向こうには東山が控えている。

南座正面玄関。12月にある吉例顔見世興行は京の冬の風物詩である。

歴史の重みを感じさせる、景観に融け込んだ佇まい

四条通をはさんだ南座の真前、京阪電車「祇園四条」駅の奥に見えるのが北座跡に作られた櫓の復刻。

南座を見守っているように佇む「かぶき踊の祖 出雲の阿国」の銅像。

四条通の突き当たりにある八坂神社。祇園祭には神社前の広い通りが人でいっぱいになる。

南座正面。昭和4年に新装開場し、情趣ある外観はそのまま保存し、内部は全面改修された。

正面大屋根と櫓。櫓も玄関前の大きな提灯も、毎年顔見世の時に新しいものに替えられる。

 京の地で出雲の阿国がかぶき踊りを始めたのが慶長8年(1603年)。その後、元和年間(1615~24年)に京都所司代が四条河原に歌舞伎櫓を赦免したとの伝承があり、公許の印である櫓を掲げた七座の芝居小屋が四条河原の東部一角に集まりました。四条通の南側に三座、北側に二座、大和大路の西側に二座あって、南側の一番西にあったのが現在の南座です。

 人形芝居や見世物の小屋なども立ち、賑わった芝居街も、宝暦明和(1751~1771年)ごろには上方劇界の中心が京から大坂に移り、櫓を掲げた小屋は南側に「南の芝居」、北側に「東の芝居」、「西の芝居」の計三座だけになってしまいました。その後、北側のひとつ「西の芝居」が文化文政(1804~1829年)ころに廃絶。南側と北側の二座だけで続いた京の芝居小屋も、明治26年には北側芝居(北座)が四条通の拡張にともない廃座となり、ついに南側芝居(南座)だけが残りました。南側芝居は明治23年ごろから南座と呼ばれるようになったそうです。

 そして、南座が松竹所有の劇場となった明治39年(1906年)、12月1日に改築落成披露式を挙行し、12月3日より改築竣成記念の顔見世興行が開かれました。その後大正2年の改築を経て、昭和4年(1929年)、地下1階地上4階の鉄筋コンクリート造の、桃山風、破風造の豪華な劇場が竣工しました。現在の南座は、この古都京都の美しい景観に溶け込んだ昭和の外観はそのままに、内部、機構を大改装したもの。平成3年(1991年)10月28日に新装開場式、11月1日より開場記念の顔見世興行が行われました。

 日本でもっとも古い歴史を持つ劇場、南座は「平成の大改修」によって近代的機能と設備を整え、伝統演劇からミュージカルにいたるまで、幅広い総合芸術文化を創造するための施設として生まれ変わりました。

平成 劇場獨案内

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