歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



現在もロビーで見られる、旧演舞場を飾った装飾 ~時代を超えて受け継がれるもの~

写真1:現在の新橋演舞場1階ロビーの、受付背後にある木製の装飾壁

写真2:旧新橋演舞場 外壁テラコッタ (INAXライブミュージアム蔵)

写真3:旧新橋演舞場の外観。※クリックすると拡大されて、テラコッタの文様がわかります。

 新橋演舞場に入ると、正面の受付背後に、正方形で幾何学模様の木製装飾壁(写真1)がお客様を迎えています。この装飾壁は、大正14年に開場した旧新橋演舞場の正面外壁を飾るテラコッタの文様を写したものです。INAXライブミュージアム内にある「窯のある広場資料館」には、旧新橋演舞場を飾っていたテラコッタの一枚が大切に保管されています(写真2)。一般公開もされており、テラコッタの緻密さや精巧さを伴った芸術性の高さは、設計者などの建築関係の専門家だけでなく陶芸家や一般の方々からも認められ、賞賛の声を度々聞きます。

 このテラコッタは旧新橋演舞場を設計した建築家の菅原栄蔵がデザインし、常滑の工場で製作されました。菅原栄蔵とは『美術建築師・菅原栄蔵』という本がご子息から発行されているように、江戸時代を代表する数奇者の一人として知られる小堀遠州を好み、陶芸の会を催すなど自らも数寄者性を発揮し、大正~昭和にかけて芸術家としても活躍した建築家です。菅原の代表的作品である銀座のライオンビアホールは、緑と柿色のタイルに彩られた内装空間として、今でも多くの人に愛されている有名な建築物です。新橋演舞場の竣成時に発行された写真集(菅原栄蔵 新橋演舞場 1926年 光洋社)には、このような芸術性あふれたテラコッタが実際の建築外壁に使われていた当時の様子(写真3)が掲載され、菅原自身が「演舞場の設計は決して前からある理論を求めたり考えたりして制作したものではなく、時代や環境等によって形成せられた自らなる自己の芸術に即して、ただ虚心思うがままに制作したに過ぎないものである。」と書いています。大正12年に着工したものの、関東大震災により工事が遅れながらも、芸術性を追求したその精神は、木製の装飾壁に受け継がれ今も新しい新橋演舞場の正面を飾っています。

 歌舞伎の世界がそうであるように、伝統を受け継ぎ、次世代に伝えていかなければならない精神性は、建築の世界でも同じであり、建築物を構成する素材のものづくりにも受け継がれなければいけないものと考えています。今年4月から出発した株式会社LIXILもまた、統合した各社のものづくりの伝統や精神性を受け継いでいきます。

INAX ミュージアム推進グループ リーダー
後藤泰男

平成 劇場獨案内

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