歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



采女橋(うねめばし)から見た新橋演舞場。高速道路はかつての築地川。

劇場まわりの空地には緑も配置。

知る人ぞ知る、情趣ある佇まい

新橋演舞場の隣に建つ、芸者衆が呼べる料亭「金田中」。大正の頃に創業した老舗。

歌舞伎座にもあったように、劇場にお社はつきもの。写真は「演舞場稲荷大明神」。

日本の喜劇の元祖、曾我廼家五郎の碑(左)と新国劇の創設者澤田正二郎の碑。

 このページ一番上左の写真は、新橋演舞場に隣接した公園の横にある采女橋の上から、ちょうど高速道路を覗くように撮影したものです。東銀座駅や銀座方面から劇場へ来る方は采女橋を渡ったことがなく、見慣れない風景とお感じの方も多いでしょう。新橋演舞場の足元で蛇行して走っている首都高速都心環状線のところには、昭和37年(1962年)まで築地川が流れていました。

 新橋演舞場の隣、劇場と同じようにかつては築地川に面した位置に、有名な料亭の「金田中(かねたなか)」があります。前編でご紹介したように新橋演舞場は新橋花柳界と縁が深いのですが、芥川賞・直木賞の選考会場としても知られる築地の料亭・新喜楽も、この金田中も新橋芸者衆をお座敷に呼ぶことができる料亭です。現在でもこの界隈では、芸者衆を送迎する人力車が走っており、演舞場敷地内に"駐車"していることもあります。

 劇場の生い立ち、歴史を感じさせる風景は他にも見受けられます。それは切符売場横、奥の方に佇むふたつの句碑。ひとつは日本の喜劇王、曽我廼家五郎(そがのやごろう)の東都三十周年を記念した句碑「むさし野や三十年は泣き笑ひ」。もうひとつは新国劇の創設者、澤田正二郎(さわだしょうじろう)の辞世の句「何処(いずく)かで囃子の声す耳の患」が刻まれた句碑。どちらも新橋演舞場で活躍し、一世を風靡した両名優が偲ばれる記念碑です。

 さらに奥へ進むと、小さなお社(やしろ)があります。正式な名称は「演舞場稲荷大明神」といいますが、通称は「お初稲荷」。このお初とは『加賀見山』に登場するお主(しゅう)思いの女丈夫のお初のこと。新橋演舞場が建っているところは松平周防守の下屋敷跡で、お初が主人の尾上の無念を晴らすべく岩藤を討った、といわれているところです。

平成 劇場獨案内

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