歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



芸道:高校時代から書きためた歌舞伎ノート

初世中村吉右衛門(左)、三世中村時蔵(右)の写真。父の中村歌昇丈が鏡台の引き出しの中で大切にしまっていたものを譲り受けたそうだ。

中学3年間は歌舞伎から離れ、バレーボールに打ち込んでいたという種太郎さん。高校から再び歌舞伎の世界に戻るにあたって、他の人と同じことをしていては追いつかないと感じ、このノートを作るなど、さまざまな努力をはじめたという。

 2010年は、歌舞伎座さよなら公演で『松浦の太鼓』(1月)、『助六由縁江戸桜』(4月)などに出演し、7月は『傾城反魂香』(新橋演舞場)で修理之助を好演。今月(11月)は新橋演舞場、12月は京都の南座に出演予定と着実に舞台を重ねている種太郎さん。忙しい毎日のなかで、どう歌舞伎に向き合い、何を感じているのでしょうか。
 「芸に向かうひたむきな横顔」、「ひとりの青年としての素顔」を探る手がかりとして、歌舞伎に関するもの、プライベートのもの、それぞれ大切にしている品を持参いただきました。



―趣のある古いお写真ですね。写っていらっしゃるお二人は…?
左側が初代中村吉右衛門、右側が三世中村時蔵で、僕の祖先にあたるご兄弟の写真です。3年前くらいに父(中村歌昇)から譲り受け、歌舞伎公演のあるときは楽屋の鏡台に必ず飾るようにしています。この写真を自分の前に立てておくと、気持ちが引き締まりますし、見守ってもらえるような気がします。

―今年の9月から、写真のお二人と同じ屋号「播磨屋」になりましたね。
僕は小さい頃から播磨屋のおじさん(中村吉右衛門)の舞台に子役として出させていただいて、ずっとその背中を見てきました。尊敬する播磨屋のおじさんと同じ屋号になるなんて…。本当に光栄です。 9月に出演させていただいた『引窓』(新橋演舞場)の初日の舞台で、(自分に)「播磨屋!」という大向うがかかったときは、感動して涙が出そうでした。同時に、自分も播磨屋の一員としてもっとがんばらなきゃいけない、という気持ちも強くなりました。

―こちらのノートには、何が書かれているのでしょう。
歌舞伎の舞台やお稽古で、自分で気付いたことやアドバイスを受けたことなどを忘れないように書き留めています。歌舞伎1本でやっていこうと思うようになった高校生のころから書きはじめて、ずっと続けています。好きなカフェに行って書くことが多いですね。書いていると課題点が整理できますし、だんだん気持ちも落ち着きます。同じ役をやらせていただく時は前のページを見返して、そのときに受けた注意を確認したりもします。
播磨屋のおじさんや、父を含め先輩方から教えていただいたこと等を綴っています。父の存在はとても大きくて、言葉でどう言い表していいのかよくわかりません。踊りのうまいところも尊敬していますし、僕の知らないところで深く支えてもらっていると思います。いつかは超えなくてはならない存在だと思いますが、まだまだ教えてもらうことが山積みです。

―愛らしい踊りの姿ですが、なにか想い出はありますか?
(写真をご覧になり)うわ〜!!懐かしい! なんだかはずかしいですね(笑)。口上で並んだときに隣に父がいたのですが、僕は座ったまま眠ってしまうこともあったらしくて…。父は気が気じゃなかったと思いますよ。

―この舞台には、尾上梅幸さん(七世尾上梅幸)、中村雀右衛門さん、坂田藤十郎さん(当時・鴈治郎)、松本幸四郎さん、片岡仁左衛門さん(当時・孝夫)らもご出演でしたね。
とても豪華な配役ですよね!改めてありがたいことだと思います。(中村)梅枝さん、(中村)萬太郎さんも、この時が初舞台でした。25日間という公演をはじめて経験したわけですが、楽しかったと記憶しています。

芸の眼差し、遊の素顔

バックナンバー