歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



芸道:独習の礎となる祖父と父の台本群

右4冊はすべて『曽根崎心中』の台本。壱太郎さんの書き込みもいっぱい。「舞台の間はじっくりよく観て、幕が下りたら、忘れないうちに書き込みます」

デスクトップ画面は片岡愛之助さん、坂東薪車さんと出演した『車引』(2009年8月出石永楽館)。「舞台を演じて感じたこと、気付いたことなどもパソコンの中にメモとして残しています」

 2007年に史上最年少の16歳で大曲『鏡獅子』を踊り、2009年は『封印切』の梅川を好演。2010年は祖父・坂田藤十郎がそれまでほぼ一人で演じてきた『曽根崎心中』のお初に大抜擢されるなど、ひときわ注目を集めた壱太郎さん。現役の大学生として学業との両立をはかりながら、どう歌舞伎に向き合い、何を感じているのでしょうか。 まずは「芸に向かうひたむきな横顔」を探る手がかりとして、歌舞伎に関する大切な品々を見せていただきました。


―今日はたくさん台本をお持ちいただきました。『曽根崎心中』が4冊ありますね。
自分にとって大切な物は何かと考えたときに頭に浮かんだのは、家にある膨大な台本でした。祖父(坂田藤十郎)も父(中村翫雀)も自分が演じた台本をとても大切にしていて、すべての台本を家の倉庫に保管しています。ですから勉強したい演目が出てきたときでも、だいたい家に台本があります。これは本当にありがたいことで、とても感謝しています。
『曽根崎心中』(2010年3月南座)のお初という憧れの役を演じるチャンスが巡ってきたことは、父からの携帯メールで知りました。今でもそのメールは大切に残してあります。
『曽根崎心中』の台本は祖父があれだけ演じていますから(2009年公演でお初上演1300回を突破)、家にたくさんあります。お初という役はいつかは演じてみたいと思っていたので、家の台本を何冊か使って以前から少し勉強をしていました。

―どんな風に勉強をされるのですか。
お初のお役をいただく前、2009年4月に歌舞伎座で祖父がお初をやっているのですが、そのときに本気で全部を覚えてみようと思って、何度も何度も舞台を見に行きました。台本には細かな動きなどは書かれていませんから、舞台を見て気付いたことを台本にどんどん書き込んだりして、芝居の詳細を徹底的に追ってみました。昨年3月に実際に自分が演じたときには、それが大変役に立ちました。

―『妖異有馬猫(よういありまねこ)』の台本もありますが、昭和42(1967)年6月上演(※)という古いものですね。
2009年6月に『怪異有馬猫』のお藤の方を演じさせていただいたのですが(大阪松竹座「喜寿記念 坂東竹三郎の世界」)、ここにある台本の公演以来、ほとんど上演されていなかった作品なので見たこともありませんし、映像も残っていませんでした。ビデオなどがあれば、あるひとつの正解が実体として目に見えるのですが、それがないわけです。それで、なにか手がかりになるものがないかなと探してみたら、家からこの古い台本が出てきました。
見たこともなく、ビデオもない作品に取り組むことはあまりないので、どうなるかなという気持ちもありましたが、通常の公演よりもお稽古が多くありましたし、座頭である(坂東)竹三郎さんがとても丁寧に教えてくださいました。台本から自分で考えながら立体化していく過程は、難しいけれど楽しくもありました。

―こちらのノートパソコンも歌舞伎にまつわる品でしょうか?
パソコンは主に大学で使っていますが、歌舞伎のデータもたくさん入っています。舞台写真などもスキャンして取り込んでおけば、いつでも見られます。この前の永楽館の公演(2010年11月)では、口上のセリフをパソコンに入力しながら作りました。楽屋でもよくパソコンに向かっています。



※上演時の外題は『有松染相撲浴衣(ありまつぞめすもうゆかた)』(東横ホール)。
―かわいらしい公時(きんとき)さんですが、想い出などはありますか?
あまり記憶がないのですが、この熊は(中村)亀鶴さん(当時は中村芳彦)で、亀鶴さんが熊になるのが大好きだったことは覚えています(笑)。公時の役は小道具のまさかりを持つのですが、それを記念にいただいたようで今でも家にあります。 化粧(かお)は鴈乃助さんがやってくださっていましたが、子どものころは白粉を塗られるのが苦手でした。白粉は自分の間(ま)で塗りたいので、小学生の終わりのころからは自分でするようになりました。

芸の眼差し、遊の素顔

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