歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



芸道:初代錦之助が蒐集した歌舞伎の貴重本

初代中村錦之助(萬屋錦之介)が蒐集した歌舞伎の書籍の数々(レコード盤もあり)。背景に見える本棚も一緒に譲り受けたそうだ。前列中央の若草色の本が隼人さんお気に入りの『四世 時蔵』。その右の赤い本『歌舞伎の衣裳』も折りに触れてよく開かれるとか。

初代中村錦之助(萬屋錦之介)ゆかりの三味線のばち。「普段は大切にしまっていますが、ときどき出して眺めています」と隼人さん。ちなみに、好きな長唄は「供奴」「越後獅子」。

 2010年を隼人さんに焦点を当てて振り返ってみると、まずは南座初出演となる舞台(6月「坂東玉三郎特別舞踊公演」)で『重戀雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)』の良峯少将宗貞に挑戦されたことがあげられます。そしてNHK大河ドラマ「龍馬伝」に徳川家茂役で出演、さらに黒木瞳 座長公演『取り立てや お春』(11月明治座、12月御園座)で初々しい演技を披露するなど、多分野での活躍が目立った1年でした。
 隼人さんは今、17歳。歌舞伎にどのように向き合い、何を感じているのでしょうか。まずは「芸に向かうひたむきな横顔」を探る手がかりとして、歌舞伎に関する大切な品々を見せていただきました。



―歌舞伎の本が写された写真をご持参いただきましたが、ご自宅にあるものですか?
はい。重い本ばかりでしたので撮影してきました。これらの本は、2007年に父が二代目中村錦之助を襲名したとき、初代の錦之助さん(萬屋錦之介)のご遺族の方から譲り受けたものです。僕が中学生の時でしたが、たくさんの本が詰まった立派な本棚が突然二つもやってきて、びっくりしたのを覚えています。
これらの歌舞伎の本は錦之助叔父さんご自身が集められていたものだそうです。そのなかでも父と僕が特に大切にしているものを並べて、写真に収めてきました。

―隼人さんが最初にご覧になった本はどれですか?
『四世 時蔵』という写真集です。僕のお祖父さんなのですが、諸先輩方から「きれいだったよ」といろいろお話をうかがっていたので、とても興味がありました。本を開いてみると本当に美しくて、自分もこんな風になりたいなと思いました。

―こちらの三味線の象牙のばちは、大ぶりで立派ですね。
これも本と一緒に我が家にいただいたもので、長唄三味線のばちです。僕の手には大きすぎた時期もありましたが、このごろは手も大きくなりちょうどよくなってきました。お三味線を弾くのは難しいですが、こんなにいいばちをいただいているので、弾きこなせるようになりたいと思っています。

―小さいころから歌舞伎がお好きだったそうですが、本格的に歌舞伎俳優を志すようになったのは、いつごろでしょうか。
12歳のとき、歌舞伎座で『加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)』(2005年10月)の大姫を勤めさせていただきました。同じ舞台で玉三郎のお兄さんが尾上を演じられていて、毎日細やかなアドバイスをくださっていたのですが、千穐楽の日に「とうとう最後までできなかったわね」とおっしゃられて…。すごく落ち込んだのですが、その言葉がきっかけで、もっときちんと演じられるようになりたいと強く思うようになりました。

―これから演じてみたい役柄などはありますか。
おこがましいですが、もう一度、宗貞をやってみたいです。『勧進帳』の富樫や義経にも憧れますが、今は、いろんな役をやってみたいと思っています。荒事もやってみたいし、二枚目も女方も。でも、ちょっと身長が伸びすぎていて…。今、175cmですが、まだ伸びています。僕が中学3年生のとき、これ以上背が伸びないように!というおまじないで、おばあちゃんが僕の頭にザルをかぶせたこともありました(笑)。でも、それから5cmも伸びてしまいましたが…。



―初舞台は小学校2年生のときの『寺子屋』の小太郎ですね。「寺入り」からの上演でしたが、印象に残っていることはありますか?
玉三郎のお兄さんが母の千代の役で出られていました。初めに花道を手をつないで出ていくのですが、すごく緊張していて、手をぎゅーっと握ってしまったようなんです。それで「あら、あなた痛いわ」と言われたことを覚えています。
それから、千代が小太郎を残して花道を帰っていく場面では、ずっと目を見ているようにと玉三郎のお兄さんから言われました。まだ小さかったので、このお芝居の意味もよくわかっていなかったのですが、ずっと目を見ていると、すごく切ない気持ちが湧いてきたことはよく覚えています。

芸の眼差し、遊の素顔

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