歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



「隅田川夕景」三代豊国

歌舞伎文様とゆかた

 ゆかたが庶民の生活にも登場し始めた江戸時代、当時の風呂屋は庶民の社交場でした。そこで人々はゆかたを社交着として、さまざまなお洒落を楽しむようになりました。そして時を同じくして人々の最大の娯楽であったのが歌舞伎です。当時、人気のあった歌舞伎俳優たちは家紋や屋号を図案化した文様でゆかたや手ぬぐいを作り、俳優自身が楽屋で着たり、贔屓筋などへの配り物として使用していました。これが瞬く間に庶民へと広まり、歌舞伎俳優の身につけた柄はたちまち流行の最先端となっていったのです。

 この時使用された文様は実にさまざまな所から誕生しました。俳優の名を洒落や語呂合せで考案したもの、また、人気の俳優が舞台衣装として着たことがきっかけで流行し始めたものなどです。その中でも有名なのが、「鎌」と「○(輪)」と「ぬ」で「構わぬ」と読ませる文様です。柄を文字に見立てて読ませる判じ物(はんじもの)のひとつで、“細かいことにはこだわらない“といった男気を表したこの柄はもともと町奴(まちやっこ)達が好んで身につけていたものです。その後、七世市川團十郎が舞台で愛用したことがきっかけとなり急速に庶民へも広まっていきました。また、現代でも至るところで見られる「市松模様」。これは、佐野川市松という歌舞伎俳優が十八世紀半ばに、小姓役ではいた袴の柄が評判になって、市松染めと呼ばれるようになったそうです。このようにしてたくさんの「歌舞伎文様」が人々の間に定着し、広まっていったのです。

長沼静きもの学院

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