昭和29年(1954年)の歌舞伎会館2階の特別食堂。“別館の食堂”とも呼ばれた。奥には東郷青児作の壁画があり、斬新な空間デザインが好評だった。窓がある方が昭和通り。   左写真の歌舞伎会館の特別食堂と歌舞伎座本館(劇場部)の間に位置する“別館2階”。左に鮨食堂のカウンター、廊下の奥には売店が見える。別館のこの部分は取り壊されず改築されている。現在の2階食堂「ほうおう」の辺り。

鮨食堂やおしゃれな食堂があった歌舞伎座別館

 上演時間が長い歌舞伎観劇に“食”は切っても切れない重要な要素。皆さんは観劇の際のお食事はどうしていますか? お弁当派と食堂派に大きく分かれると思いますが、今回はお食事どころに注目してお話ししていきましょう。

 “ここはひとつ豪勢に”と2階の「吉兆(※1)」で高級料亭「吉兆東京」の松花堂弁当をいただくか、“観劇の王道”と2階の「ほうおう」や「地下食堂花道」でいただくか。1階西の「喫茶室檜(ひのき)」でサンドイッチとコーヒーを、はたまた3階席で観劇するなら、サッとすぐ食べられる「カレーコーナー」に向かうのか…。“食堂派”の中には座館から一旦出て、西の「日本料理木挽町」で一息ついたり、「歌舞伎そば」に駆け込む方もいるかもしれませんね。

 “そば”といえば、以前は館内の3階にそばの専門店「そば食堂」があった、とご記憶の方も多いのでは? 幕間(まくあい)に合わせて職人さんがそば粉をこね、こだわりのだしを使った出来立てのそばはとても人気がありました。そば食堂は平成18年(2006年)になくなりましたが、館内で観劇前に予約をすれば、そば職人が作るおいしいざるそば、天ぷらそば、なめこそば、やまかけなどは、今も地下食堂花道でいただくことができます。

 長年歌舞伎座に通っている方はお分かりと思いますが、館内のお食事どころは様々な変化を遂げています。まず、この30余年のうちで大きな転換期となるのが、歌舞伎会館の取り壊しと、歌舞伎会館と歌舞伎座本館(劇場部)を繋げている部分の改築。ここは“歌舞伎座別館”(上の写真2点)と呼ばれていました。

 歌舞伎座別館には、昭和29年(1954年)から50年(1975年)まで、ティールーム、鮨食堂、広々とした特別食堂など、本館より瀟洒なお食事どころがあったそうです。当時は、本館にも420名(!)収容できる地下大食堂がありました。それでも各食堂は混雑していたそうですから、歌舞伎座の大きなお食事どころはまさに日本の高度経済成長期(1955年?1973年)の熱気とともにあった“時代を象徴するお食事どころ”と言えるかもしれません

※1:「吉兆」の「吉」の文字は、正しくは土に口と書きます。

歌舞伎会館。写真の2階部分に大きなお食事どころ、特別食堂があった。昭和通りに面したこの部分は昭和50年(1975年)に建て替えられて、現在は歌舞伎座ビルになっている。
売店がなかったころの、開場当時の本館2階のロビー。昭和50年(1975年)の歌舞伎会館の取り壊しと別館の改築時、上右写真にある売店コーナーが移転してくる形で、ここに売店ができ、現在に至っている。

歌舞伎座の「食」

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