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【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。
3階の「やぐら茶屋」で。撮影した日は食事の予約が入っていて、テーブルには箸やお絞り、湯飲み茶碗がセッティングされていた。
現歌舞伎座が開場して2年後の昭和28年(1953年)正月から歌舞伎座に通い始めたという、元NHKアナウンサーの山川静夫さん。山川さんは故郷静岡を離れ、東京で過ごした大学生時代に歌舞伎に傾倒し、まさに“歌舞伎一色”と言える青春時代を送りました。近著『大向うの人々 歌舞伎座三階人情ばなし』(講談社発行)には、山川さんの“一番幸せだった、貧乏学生時代に通った歌舞伎座三階の日々”が鮮やかに描かれています。 2010年4月2日「御名残四月大歌舞伎」の初日。 いつものように3階大向うから声を掛けている山川さんにお時間をいただき、お話をお聞きすることができました。 山川さん 当時、貧乏学生が電車賃もかけて毎日のように歌舞伎座に通うのですから、食事はかなり切り詰めなければなりません。そんな時代を助けてくれたのが3階のおでん屋さん。現在の「やぐら茶屋」の前の上手(かみて)側、今は「株式会社イヤホンガイド」と札が掛かっている小さな部屋にありました。7人ぐらいが座れる白木のカウンターの中で、銅のりっぱな鍋におでんがグツグツおいしそうに煮えていました。 捌(さば)きをしていたのは小川さんという、白い割烹着(かっぽうぎ)の似合う美人のおばさん。幕間(まくあい)はお客さんがいっぱいで忙しいだろうから、幕が開いてから大向う仲間の大脇、堀内と一緒に「空いてる?」と聞いてから入って、一番安い10円のだいこんとこんにゃくを注文。“よろしくお願いします”と言うと、だいこんとこんにゃくを盛ったお皿に加えて、茶碗にぎゅうぎゅうに詰めた茶飯と、だしがよく出た煮汁を大きな茶碗にたっぷりと入れてぼくらの前に出してくれました。茶飯は掘っても掘ってもごはんがあるくらい(笑)。おでんが20円、茶飯が30円だったから、合計たったの50円で貧乏学生のお腹は大満足。あのおいしさ、そして、あのありがたさは生涯忘れることはありません。 おまけをしてもらって、芝居を観ずに幕が開いている間に食べていたのですから、考えてみれば我々はけしからん客ですが、当時は幕が開いてもお店はやっているのが普通。1階のお客さんたちも3階に上がってきて、海老巻きとか信太(しのだ)などを注文して、ゆったりとお酒を飲んでいました。
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歌舞伎愛好家、エッセイストとしてもお馴染みの元NHKアナウンサー山川静夫さんに、青春の思い出と歌舞伎座の「食」にまつわるお話を伺いました。
今回は歌舞伎座の中の売店におじゃまして、お馴染みのおやつにまつわる、さまざまなお話を伺いました。今度歌舞伎座で観劇する時に役にたつ情報もお伝えいたします。
歌舞伎座の「食」をめぐるシリーズの4回目となる今月は、歌舞伎、そして観劇に切っても切れない"縁(えん)"のあるそばのお話です。
おしゃれをして早朝から出かける一日がかりの芝居見物は、大名から庶民までが楽しむ究極の娯楽。幕間時間もたっぷりあったので、その間に味わう食事の楽しみは格別だったようです。
さよなら公演で賑わう歌舞伎座。その厨房にお邪魔し、どのように料理を作り、最も良いタイミングで提供しているか、などを取材しました。
長い歌舞伎座の歴史の中で見れば、ほんの一時期の風景ではありますが、歌舞伎座の「食」どころにまつわる思い出を少しだけ、たどってみることにいたします。