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【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。
今も変わらず大向うを掛け続けている山川さんにとって、最も馴染み深い歌舞伎座の3階。今は亡き懐かしい名優たちの写真をしみじみと見上げる山川さん。
学生時代の山川さんが馴染みだったのはおでん屋さんですが、手が届かなかったのが「バー」と「寿司」。左は昭和29年に歌舞伎座別館を大改修した後の見取図ですが、3階には、外からも入れるバーと、小さな寿司の店、そして、2階にはカウンターとテーブル席を備えた寿司食堂がありました。 山川さん バーはホテルのような洒落た雰囲気で、レンガの石段を2、3段下りて入ると、優雅なアールを描くカウンターがありました。蝶ネクタイをしたバーテンダーがいて、当時はなかなか手に入れられない洋酒がずらっと並んでいました。著名人がよく座っていたそうですが、ぼくらは世間を知らない学生でしたから、どなたが来ていたかはわかりません。ただ、悠々とパイプの煙をくゆらして、足を組んで斜めに腰掛けていた紳士たちは憧れだった。当時、そんなお洒落なバーは珍しく、ステータスを感じさせる空間でしたね。ぼくらにとっては、バーなんて夢のまた夢。就職した後は、ここでコーヒーを飲むことはありましたが、ゆったりお酒を飲む機会は巡ってきませんでした。 それから寿司…。お寿司なんてとんでもない(笑)! 3階にも専門の寿司屋があったようですが、よく覚えているのは2階の西側の寿司食堂。カウンターで握ってもらったり、テーブルもあって桶でも食べていたようです。私自身は歌舞伎座の寿司には縁がありませんでしたが、水谷謙介さんという大向うの先輩が浅草橋で寿司屋を始めることになり、2階の寿司食堂の腕のいい職人さんが退職後に水谷さんの店の手伝いに来ていました。 NHKに就職した後は時間的に余裕がなくなって…。大阪や仙台など地方にいたので、夜行列車で週末に来てとんぼ返りの状態。ついぞ歌舞伎座の寿司屋でゆっくりと食べたことはありませんでした。 学生時代、先にも言った大向うの先輩の水谷さんは、夜9時、10時に芝居がはねると、「お腹減っただろう?」と、並木通りにある居酒屋にぼくらを連れて行ってご馳走してくれました。その後、東京駅まで歩いて、中央線に乗って阿佐ヶ谷まで帰った…。それが毎晩ですから(笑)。 大好きな歌舞伎を観て大好きな人たちと素晴らしい時間を過ごした歌舞伎座には私の青春の思い出がいっぱい、いっぱい詰まっています。 歌舞伎座は本当にいとおしい、何ものにも替えられない、特別な劇場なのです。
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歌舞伎愛好家、エッセイストとしてもお馴染みの元NHKアナウンサー山川静夫さんに、青春の思い出と歌舞伎座の「食」にまつわるお話を伺いました。
今回は歌舞伎座の中の売店におじゃまして、お馴染みのおやつにまつわる、さまざまなお話を伺いました。今度歌舞伎座で観劇する時に役にたつ情報もお伝えいたします。
歌舞伎座の「食」をめぐるシリーズの4回目となる今月は、歌舞伎、そして観劇に切っても切れない"縁(えん)"のあるそばのお話です。
おしゃれをして早朝から出かける一日がかりの芝居見物は、大名から庶民までが楽しむ究極の娯楽。幕間時間もたっぷりあったので、その間に味わう食事の楽しみは格別だったようです。
さよなら公演で賑わう歌舞伎座。その厨房にお邪魔し、どのように料理を作り、最も良いタイミングで提供しているか、などを取材しました。
長い歌舞伎座の歴史の中で見れば、ほんの一時期の風景ではありますが、歌舞伎座の「食」どころにまつわる思い出を少しだけ、たどってみることにいたします。