歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



贅沢なごちそうの代表格 芝居とも縁が深い寿司


『東都高名会席尽 まつのすし・すし屋娘お里』
『東都高名会席尽』は、三世歌川豊国が当時の人気役者を描き、背後に歌川広重が料理屋の店先と料理を描いた50枚の揃物。早稲田大学演劇博物館蔵。無断転載禁。(c)The Tsubouchi Memorial Museum, Waseda University, All Rights Reserved.
 
生産者の小嶋満朗さん 寿司職人の加納春一さん
シャリにも調味料にもこだわり、職人が一本ずつ作っていく

 歌舞伎座に寿司の専門店はなくなりましたが、現在、館内では「にぎり寿司」「桟敷寿司(さじきずし)」を提供しています。また、“歌舞伎を上演する劇場では必ず見かける”と言っていいほど寿司は芝居につきものです。それは江戸の芝居小屋でも同様で、茶屋から見物席に運ばれる菓子、弁当、すしを、その3つの頭文字をとって“かべす”と言っていました。ただ、茶屋でゆっくり食事をする裕福な客と違い、土間で見物する一般客のことを「かべすの客」と呼んだそうなので、ここでいう寿司はさほど高級なものではないでしょう。両国などの屋台で庶民に人気のあったにぎり寿司も、さっとできる江戸のファストフードでした。

 にぎり寿司は、それまであった「押し寿司」よりも手軽に作れるということと、江戸っ子のせっかちな気質に合って、江戸の町に広まりました。考案された時期は文化・文政(1804?1830年)のころではないかと言われています。考案した人物や店には諸説ありますが、その中のひとつ、当時の高名な料理屋を背景に人気役者が描かれた『東都高名会席尽』の中に“まつのすし”があります(左写真)。この“まつのすし”とは現在の江東区の深川六軒堀にあったお店。江戸後期の随筆『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』に「文化のはじめ頃、深川六軒ぼりに松がずし(※)出きて、世上すしの風、一変し」と書かれています。にぎり寿司も押し寿司も売られていたようですが、 “贅沢な寿司”として川柳や狂歌に歌われています。

 にぎり寿司にしても押し寿司にしても、現在は回転寿司やテイクアウトの廉価な寿司が出回っていますが、ネタやシャリにこだわった寿司は、今も昔も変わらず贅沢なごちそうです。今回ご紹介する「セコムの食」の逸品はその名も「贅沢な押し寿司」。福井市内にあるそのお寿司屋さんは、調理長自ら魚市場に買い付けに行くほか、目利きの高さで評判の魚河岸からも仕入れているそうです。生産者の小嶋満朗さんが「1本でも十分にご満足いただける寿司を作り続けています」と胸を張っておっしゃるように、サーモンの身の厚さは見事。まさにその名のとおり“贅沢な”押し寿司です。

※「松がずし」は「まつのすし」のこと


 

歌舞伎座の「食」

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