歌舞伎いろは

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鰹節を削る「桜丸女房八重」、すり鉢で味噌を摺る「松王女房千代」、おひつを抱えた「梅王女房はる」。『菅原伝授手習鑑』「賀の祝」三代目歌川豊国画(文化8年)。早稲田大学演劇博物館蔵。無断転載禁cThe TsubouchiMemorialMuseum,WasedaUniversity, All Rights Reserved.

醤油は、はじめはミソ味だった?

 歌舞伎には珍しい、調理をする場面が登場するのが、『菅原伝授手習鑑』の「賀の祝」の一幕。舅の古稀の祝いに、八重、春、千代の3人の優しい嫁たちが仲良く祝い膳をこしらえます。「今朝搗いた餅で雑煮しや。上置きはしれた昆布、隙の要らぬ様に茹でて置いた」と言う舅に、「なんぼうあの様に仰つても雑煮ばかりでは置かれぬ」と嫁たちが手分けして作る献立は、鰹なますに、春と千代が早春の淀川堤で摘んできた嫁菜の汁…。

 ここで作られたすべての献立はわかりませんが、八重がすり鉢で味噌を摺る場面が登場します。そもそも味噌の歴史は古く、そのルーツは「醤(ひしお)」。食材を塩漬けして発酵させたもので、よく知られるものに、魚を原料としたベトナムの「ニョクマム」やタイの「ナンプラー」などがあります。豆を発酵させた味噌は、奈良時代に中国から日本に伝わりました。

 実はこの味噌の桶の底に分離した液体が、現在の私たちの食卓に馴染み深い醤油の元祖。もっともこの液体が「垂れみそ」という名で調味料として登場する室町時代は、味噌と水を混ぜて煮詰めたものを布で漉す、現在の醤油とはまったく違う製法によるものでした。ちなみに『歌舞伎「食」のおはなし』第2回でご紹介した蕎麦も、江戸初期のつゆは、この垂れみそに鰹だしを加えたもの。いったいどんな味だったのでしょう?

 余談ですが、蕎麦つゆに欠かせない鰹だしのほうは醤油より歴史が古く、室町時代には鰹節が調味料として使われていました。江戸時代には、鰹節が「勝男武士」に通じると、武家社会で好まれたとか。当代きっての料理茶屋「八百善」の4代目主人による料理書「江戸流行料理通」(初版1822年)は、当時ベストセラーのレシピ本。ここには多彩な献立や作り方を紹介する中に、だしの取り方も詳細に書かれています。

歌舞伎「食」のおはなし

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