歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



鶴や白鳥は目に美しく、そして美味なるもの!?

 殺生を禁じる仏教の教えによるものか、米を尊重するあまりの裏返しか。日本では古代から肉食を禁忌とする傾向がありました。古くは日本書紀に天武天皇による肉食禁止令の記述が。下って江戸時代も、五代将軍の徳川綱吉の「生類憐れみの令」をはじめ、幾度となく為政者によって肉食が禁じられてきました。

 でもそれは表向きの話。庶民は麹町に通い、江戸後期には、当の将軍家までが、彦根藩の井伊家から牛肉の味噌漬けを献上されています。獣肉は精がつくという考えから「薬食い」などと呼び、食事とは別に食べていたのだとか。食卓のささやかさは、現代とは比較にならない時代です。動物性タンパク質とビタミン豊富な獣肉は、食べるそばから精力が湧いたことでしょう。身分の上下を問わず、肉食は半ば公然化していました。その頃、売られたれた獣肉は、イノシシ、シカ、クマ、オオカミ、キツネ、タヌキ、サル、カワウソ……。おおっぴらには認められていないにしては、現代よりよほどバラエティに富んでいて、江戸っ子の健啖ぶりに庶民のたくましさがにじみます。

 ところで同じ肉でも、鳥肉には禁忌がありませんでした。そういえば一説に、兎を1羽2羽と数えるのは「獣ではなく鳥」ということにして食べたからだとか。江戸初期の代表的な料理書「料理物語」(寛永20年・1643年刊行)には、白鳥・鴨・雉子・鷺・鶉(うずら)・雲雀(ひばり)など、18種類もの野鳥料理が取り上げられ、私たちにおなじみの「ヤキトリ」のレシピも登場。中でも鴨は、汁や煎り鳥、生皮、さしみ、なます、串焼きなど、15種類以上の料理が紹介されています。鴨料理は世界中の様々な文化圏に見られますが、ここ日本でも、古くから親しまれていました。

「びくにはし雪中」「名所江戸百景」より。初代歌川広重画(安政5年 1858年)。画中から読み取れる「山くじら」とは猪肉のこと。びくに(比丘尼橋)が掛かっていたのは、現在の地名で言うと八重洲二丁目と銀座一丁目の間にあたりという。ここでも猪が食べられたのだ。国立国会図書館蔵。無断転載禁


歌舞伎「食」のおはなし

バックナンバー