歌舞伎いろは

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『伊賀越道中双六』 一雄斎国輝画。中央の白無垢を纏っているのがお後。早稲田大学演劇博物館蔵。無断転載禁

このページの錦絵3点とも『伊賀越道中双六』 一雄斎国輝画。中央の白無垢を纏っているのがお後。
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7歳の花嫁は三三九度よりお饅頭をおねだり

 壮年の男性と年若い女性の結婚は、年齢の差が世間の注目を集めがち。軽く羨望を覚える男性諸氏も多いことでしょう。『伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)』では、物語の主人公、唐木政右衛門が、身重の妻のお谷を離縁したばかりだというのに新しい嫁をもらいます。花嫁のお後(おのち)は、お谷の妹。しかも7歳の少女です。祝言(しゅうげん)の席で、夫婦の盃よりもお饅頭をほしがり、むずかるお後…。この幕に「饅頭娘※1」の俗称がある由縁です。

 実はこの結婚には、事情があります。それは仇討ち(あだうち)。お谷は、父を謀殺した沢井股五郎を討つため旅に出た、弟の志津馬の助太刀(すけだち)を夫政右衛門に頼むのですが…。仇討ちには、戦国時代から厳格なルールがありました。一つは武士に限ること。もう一つは、殺された人が主従関係の目上の者か仇討人の尊属であることです。お谷は父に背いて政右衛門と駆け落ちをした、いわば内縁の妻。今のままでは政右衛門は殺されたお谷の父とは正式な親子となりません。つまり政右衛門が仇討ちの“資格”を得るためには、お後との正式な結婚によって、お谷の父と親子になることが必要だったのです。なんとも武家とはややこしい!

 「赤穂浪士の討ち入り」、「曽我兄弟の仇討ち」と並ぶ日本三大仇討ちの一つ、荒木又右衛門(※2)の「伊賀越の仇討ち(鍵屋の辻の決闘)」を題材としたこの演目。全十段の壮大なドラマの底流には、仇討ちの当事者達の葛藤や、強者(武家)の理論に巻き込まれる庶民の悲劇があります。政右衛門から「これが夫婦の固めぞよ」と、半分こにしたお饅頭を持たされて、たちまちニッコリする幼い花嫁の無邪気さが、微笑ましくも悲しく、観る者の心に染みます。

※1:歌舞伎では「饅頭娘」の後の「沼津」の場が人気があり、たびたび上演されています。昨年お正月には大阪松竹座で、今年は4月の四国こんぴら歌舞伎大芝居、夏巡業で上演されます。
※2:『伊賀越道中双六』で荒木又右衛門にあたるのが唐木政右衛門です。

「伊賀越道中双六』より一雄斎国輝画
「伊賀越道中双六』より一雄斎国輝画
上図2点とも「沼津」より。『伊賀越道中双六』の脇筋ながら、仇討ちの当事者に縁のある庶民が登場し、生き別れた親子の最初で最後の悲しい出会いが描かれる。俳優が舞台を降り、客席をまわりながらコミカルなやりとりを見せる演出が楽しい。悲劇の幕切れは名台詞で締めくくられる。

歌舞伎「食」のおはなし

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