歌舞伎いろは
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日本橋を起点とした五街道、東海道、中山道、日光道中、奥州道中、甲州道中。宿場や城下町を除けば大半は細い道筋でした。
上は現在の日本橋、下は江戸時代の日本橋(渓斎英泉画「木曽街道続ノ壱 日本橋雪之曙」天保6年(1835)大判錦絵/国立国会図書館蔵・禁無断転載)
旅の道標となったのが一里塚。現在も都内に一里塚が残る場所が西ヶ原にあります。日本橋から2番目(8キロ)の一里塚です。

其の二 江戸では旅が流行に

 天下統一を目指した織田信長は、すでに全国をつなぐ街道の整備に着手していました。徳川家康がこれを受け、江戸幕府の始まりと共にまず東海道から整えていきます。日本橋を起点とした五街道は、江戸文化の成熟する17世紀にかけて完成されていきました。

 この頃になると、庶民の間で旅に出ることが流行し始めます。もともと幕府は「入り鉄砲と出女」を厳しく取り締まり、各街道沿いには関所を設けて人々が簡単に行き来できないようにしていました。しかし『東海道名所図絵』や『東海道中膝栗毛』などが登場すると、経済的に余裕のある町人たちは、自分たちも旅をしてみたいと思うようになります。参詣と湯治が最もポピュラーな旅の目的です。なかでも伊勢参りは、人々が一生に一度は実現したい旅となりました。こうした旅を指南するガイドブックや体験記である「道中記」も好んで読まれるようになります。

 旅に出る前には、檀那寺などに頼んで道中手形を発行してもらいます。関所を通過する旅となれば、関所手形も必要でした。とくに女性の取締りは厳しく、外見の特徴まで記されていたそうです。

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