歌舞伎いろは
【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。


江戸の後期には七輪が普及しはじめました。そのため、火を使って煮炊きすることが、より身近になりました。
精米する時に出来る糠は漬物や身体を洗う糠袋に利用されました。なお糠漬けや梅干しなどは本来は家で女たちが作るものでしたが、不精者の独身者たちは1回分ずつ漬物売りの棒手振りから買い求めました。

其の二 白米が光る3度の食事

 江戸中期ごろ元禄の時代から、米の飯におかずという食事を1日3回とることが定着します。しかもそれまで一般的だった麦や玄米ではなく白米の飯が当たり前となりました。おかげでビタミンB1不足を招き脚気の患者が急増、江戸は米の飯が白いから江戸患いにかかると言われるほどになりましたが、それでも人々は白米を好みました。

 ただし1日3度の食事とはいえ、昼は冷や飯に梅干しや漬物といったシンプルなものが主流で調理をするほどでもありません。おかずがほしければ、煮豆屋や総菜屋まで行ったり、行商人である棒手振り(ぼてふり)から買うことができました。夏の盛りの昼間から火をおこさずにすむのは、長屋のおかみさんたちにとって嬉しいことだったに違いありません。

 七輪が普及した江戸の後期には、夕食の支度のために日々火を使って煮炊きすることも一般的になりました。それでも晩のおかずも野菜の煮物や海藻類が基本で、魚類を使うのはごちそうです。夏場なら芝海老豆腐と白瓜の三杯酢、なまり(蒸し鰹)と胡瓜などさっぱりしたメニューに人気がありました。また、精のつくどじょう鍋や鯨汁も喜ばれました。

くらしの今と昔

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