歌舞伎いろは
【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。


江戸時代の屋台(二八そば)
上は二八そばの屋台です。中央の棒をかついで移動します。屋台の裏に鍋、七輪がおかれています。屋台は人気でしたが、最初のうちは往来で買って食べるものだった鮨や天ぷら、茶漬けなども、やがて専門店ができるようなります。
参考:『図説見取り図で読み解く江戸の暮らし』(中江克己著/青春出版社)
西瓜やまくわ瓜など、涼味を感じられる食べ物は人気が高く、
これらを食べることは、女たちの楽しみの1つとなりました

其の三 屋台で大助かり

 江戸時代の庶民の食といえば、さまざまな屋台の普及も忘れてはなりません。時代が進むにつれ、そば、鮨、天ぷらなどさまざまな食の屋台が発達し、外食が習慣化していったのです。天ぷらや鰻の丼物も流行します。こうした手軽な店が増えたことで食の楽しみが広がり、同時に女たちの台所仕事の負担は軽くなっていったようです。

 同じく江戸に住む女たちでも、大奥ともなればまったく異なる豪華な食事が供されていましたが、身分の低い奥女中達は庶民とあまり変わらない食生活を送っていました。
 身分によって食事が異なるという点では、遊郭でのその差はもっと厳しいものでした。太夫格であれば3度の食事を禿(かむろ)が足付き膳に載せて部屋まで運びます。もちろん白米もおかずも上等なものでした。ところが下位の者となると自ら給仕しなければならないうえ米も古いものでした。また1日2度しか食事が出ないというのも当たり前でした。そこで、空腹を抱えた遊女達にとって強い味方となったのが屋台です。人を使いに出して、天ぷらやそば、鮨はもちろん、焼き団子や大福、夏なら水菓子(西瓜やまくわ瓜)などさまざまな食を調達することが、女たちの楽しみの1つとなりました。
 江戸の庶民の最高の娯楽は歌舞伎。茶屋を通して桟敷席を予約する裕福な者でも明け方から、そんな余裕のない者なら前の晩の深夜から出かける熱の入れようでした。後者の木戸から入る客の食事は俗に「かべす」と呼ばれ、饅頭などの菓子、弁当、鮨を芝居の幕間に食しました。この弁当が後の「幕の内弁当」となります。

くらしの今と昔

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