歌舞伎いろは
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田の実の祭りは、現在も各地で行われています。また、京都祇園でも8月1日には、芸妓・舞妓たちが芸事の師匠やお茶屋を訪ねてまわります。ただし彼女たちの場合は黒染めの正装姿です。
日本橋にあった吉原は大火後に浅草寺の北側に移転します。新吉原は、区画に分けられ遊女屋が設けられました。(参考:『江戸吉原図聚』三谷一馬著・中公文庫)

其の一 夏の雪が舞う八月

 旧暦8月1日、江戸城では白づくめの男達が集い、吉原には真夏の雪が舞います。

 古くから「八朔」(八月朔日)は、農村地帯で稲の実を贈り合う「田の実の日」として祝われてきました。これを「たのむ」にかけて、武家社会の主君と臣下も贈答しあうようになったといわれ、室町時代には幕府の儀式となりました。さらに江戸時代には、家康の江戸入城が8月1日であったことから、江戸の元日として盛大に祝う日と定められたのです。この特別な祝賀の儀のために、いくつもの大名行列がいっせいに江戸城へと向かいます。迎える将軍らはもちろん、登城する大名や旗本たちも白帷子に長袴という白づくめの姿でこのめでたい席に臨みました。

 一方の吉原は、明暦の大火後に日本橋から浅草寺の北側に移され「新吉原」と呼ばれていました。江戸市中から離れたこの別天地でも、八朔は特別な日。遊女達は目にも鮮やかな白い衣装を身にまとい、いつもとはひと味違った「花魁道中」を繰り広げます。そして、浮世のものとは思えない涼やかな白無垢姿は、真夏の雪にたとえられたのです。

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