歌舞伎いろは
【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。


江戸の花魁の髪型は京(島原)の傾城より派手でした。髷(まげ)を何本ものかんざしや櫛で豪華に飾り、首から上が家一軒といわれたほどです
遊女が遊客を迎えにいく「道中」は華やかなものでした。着飾った花魁が、箱提灯や傘を掲げる若い衆、新造たち、見習いの禿たちとともに歩く光景は、まさに夢の世界でした。

其の二 才色兼備の高嶺の花

 遊女が遊客を迎えにいく様を旅にたとえて「道中」と呼びますが、これに出かけるのはトップクラスにいる花魁だけです。彼女たちは姿かたちの美しさはもちろん、茶道や華道、歌、書など諸芸に秀でた、まさに才色兼備の女性たち。元禄時代の記録には、最高位である太夫は吉原の遊女約3000人のうちたったの4人と記されています。彼女たちは庶民にとっては、雲の上の人でした。

 遊女の道中はもともとは京の遊郭・島原で始まった風俗で、元吉原でも見られた光景ですが、遊女が花魁と呼ばれるようになった新吉原でさらに華やかさを増していきます。きらびやかに着飾った花魁は、箱提灯や傘を掲げる若い衆、新造たち、見習いの禿たち、遣り手などと共に歩きます。彼女たちの歩き方は、吉原ならではの「外八文字」。一度大きく外に蹴り出した足を、半歩下げるようにして着地させていきます。美しくも力強さを秘めた身のこなしで歩む花魁を中心に、一行は仲の町通りをゆったりと時間をかけて進んでいきます。それは、外界の日常からかけ離れた、じつに豪華なものでした。

くらしの今と昔

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