歌舞伎いろは
【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。


門松は、松だけを飾ったり、現代でも見られるように、先を斜めにそいだ竹を立て、その周りに松を添えたりしました。シンプルに松だけという場合もあります。飾りをつけるのは、28日が一般的です。「二重苦」になる29日も、「一日飾り」になるそれ以降も縁起の悪いものでした。
餅は12月15日辺りにつき始めます。新しい年を祝うために準備するお餅は、人を雇い、注文した家の前で餅をつきます。22、23日以降は、大晦日まで、毎日江戸の町中で、餅つきの音が響いたそうです。
 

其の三 力強い音で迎える年

 大掃除が済んだら年末のショッピングへ、というところも、江戸と現代はよく似ています。江戸で買出しに行く先は、「年の市」です。12月15日の深川八幡を皮切りに、浅草寺や神田明神など、あちこちで市が立ち始めます。

 年の市といえば、まず門松や注連(しめ)飾り。門松は、神様にきていただくための依り代、つまり乗り物であり入り口のようなものなので、人々は家の戸口に据えました。松は千歳の契り、竹は万代を契るともいわれ、どちらもたいへん縁起のよいものです。また、注連縄には、もともとは神社や御神体を囲い、外界と分ける役割があります。正月の注連飾りは、その家庭版です。

 きちんと正月を迎えるには、餅も欠かせません。これも12月15日辺りにつき始めます。江戸は都会なので、自宅でつかずに店で買うこともできましたが、普通はにぎやかな「引きずり餅」を依頼しました。引き受けるのは、町の鳶職です。彼らは人を雇い、釜・臼・杵を持参して、注文した家の前で餅をつきます。早朝から始め、夜まで威勢よくつくのです。年もおしつまった22、23日以降は、大晦日まで、毎日江戸の町中で、餅つきの音が響いたそうです。
『忠臣蔵』
 元禄15年(1702年)、赤穂浪士47人が吉良邸に討ち入りしたのは、ちょうど町が忙しくなる、12月14日のことでした。この事件を題材とした芝居は、翌年すぐにかかりますが、幕府によって上演禁止に。それでも、何度も芝居化され、ついに寛延元年(1748年)には、時代を『太平記』に置き換えた『仮名手本忠臣蔵』が大阪で人形浄瑠璃として初演されます。これはすぐに歌舞伎にも取り入れられ、大当たりとなりました。

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