歌舞伎いろは
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其の一 タブーがあった武士の食膳

夕涼み
 それでは、武士の中でも最高位である将軍の食事とは、どういうものだったのでしょうか。
 将軍といえども、徳川家康が質素な食事をとおしたため、後継の将軍や大名もこれにならって簡素で栄養バランスが取れた食事をしていました。基本は一汁二菜か三菜。しかも、将軍家には血縁の忌日(きにち)が多く、月の大半は精進料理だったといいます。まず朝食を見てみると、一の膳には飯、汁、刺身と酢の物などの向こう付け、煮物が乗り、二の膳には吸い物と焼き物が乗せられました。この焼き物は、鱚(きす)の塩焼きに付け焼きの二種。鱚は縁起が良い魚とされ、家康以来、毎日食されていました。昼食も二の膳つきで、朝と同程度のもの。けれども魚の種類は、さすがに千両が動く魚市を擁するだけあって、鯛や平目、鰈(かれい)、鰹などよりどりみどり。ただし、急務があれば昼食抜きもあったようです。そして夕食は、二の膳はつかず、ちょっとした煮物や焼き魚が加わるほか、御前酒という古酒も付きました。量はともかく、どれも最上級の素材を使った質の高い食事だったことは間違いありません。

 ちなみに、料理が出来上がってから将軍が食するまで、約2時間もの時間がかかったと言われています。なぜなら、御前に出されるまでに、毒見や点検などがされるからです。50人以上の台所役人が10人分の料理を作ります。そのうち1人分を2人の男役人が毒見。ドラマ『大奥』や藤沢周平原作の映画『武士の一分』でも登場していましたが、毒見役は将軍や藩主の食事には欠かせない存在でした。彼らが身を持って食事の安全性をチェックしたのです。
 さて、問題ないことが確かめられたら、9人分が炭火で温め直され、再度毒見をする女役人の前に運ばれます。その後、盛り付け役が残り8人分を点検し、いよいよ御前へ。最後に将軍の前で下座にいる小姓2人が最後の毒見をして、ようやく将軍が箸をつけるのです。多くの人に守られているとは言え、毎日3度の食事ですら緊張感があり、心から楽しめなかった将軍様。平均寿命が短かったのも、うなずけます。


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