歌舞伎いろは

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東照宮「眠り猫」の作者? 歌舞伎のなかの伝説の彫物師 左甚五

左甚五郎作と言われる「眠り猫」
日光東照宮の陽明門
  日光東照宮の絢爛豪華な陽明門。その左右から延びて本殿などを囲んでいる、屋根付きの廊下は「東西回廊」と呼ばれ、国宝となっています。かの有名な「眠り猫」はこの朱色の回廊にあります。有名な割にはあまりにも小さいので、初めて見た時は拍子抜けしてしまうかもしれません。しかし、「眠り猫」があるのは“家康公が眠る墓所である「奥社」参道入口の上”という重要な位置。「ちっちゃいなあ」などとゆめゆめ疎かに眺める事なかれ! 「眠り猫」にはさまざまな意味が込められているのです。

 まず、この眠り猫の真裏の彫刻は「竹林で遊ぶ2羽の雀」。猫が起きていれば雀は食われてしまうが、猫が居眠りしているので、雀と共存共栄している。つまり、「雀のような弱者も安心して暮らせる平和な時代である」ということを表しているという説があります。他にも「大切な奥社には鼠一匹通さない」という見張り役であるとか、禅問答を表す(この話はちょっと長くなるので、次回にお伝えいたします)などとまで言われています。

 さて、この眠り猫の作者こそかの有名な左甚五郎。江戸初期ごろの大工・彫刻師(ほりものし)で、徳川家の造営大工の棟梁と伝えられています。日光東照宮の眠り猫、上野東照宮の龍などを彫ったとされていますが、全国各地に「左甚五郎作」という建築物や彫刻が散在しており、その実体は不明。名前の由来も諸説あり、伝説的人物と考えられています。『国史大辞典』では冒頭に「生没年不詳、建築彫刻の名人として江戸時代に理想化された人物像」と記されています。

 この左甚五郎が登場するのが『銘作左小刀(めいさくひだりこがたな) 京人形』。粗筋は「甚五郎は廓で太夫を見初め、太夫に生き写しの人形を彫り上げた。その人形を相手に1人で酒を飲んでいると、魂が入って人形が箱から出て踊りだす。」というもの。最初は男の仕草だった人形が、甚五郎が廓で拾った太夫の鏡を人形の懐に入れると、女らしく太夫の仕草をするようになる、というところが見どころ。終盤には立廻りなども加わる華やで楽しい舞踊劇です。最近では2005年(平成17年)京都の南座で尾上菊五郎さんの左甚五郎、菊之助さんの京人形の精で上演されました。
文/栄木恵子(編集部)
1899年(明治32年)の役者絵。右上に「歌舞伎座新狂言 左小刀」とあり、左には人形が入っていた箱が描かれている。「左り甚五郎 尾上菊五郎」「おやま人形 尾上榮三郎」の記述も見える。早稲田大学演劇博物館蔵。無断転載禁。(c)The Tsubouchi Memorial Museum, Waseda University, All Rights Reserved.

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