紙は舞台、文字は役者のように―

寿亭さんが書いた平成11年のこんぴら歌舞伎の番付
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 いつも使っているお道具を見せていただきました。

 「特別なものは使っていません。外題を書くのは中筆。先ではなく、筆の腹を紙につけてどっしりとした線を書きます。意外と難しいのがルビです。何種類かある細筆を使って書くのですが、なかなか根気のいる作業です。しかもルビのバランスが悪いとせっかくの外題が台無しになってしまいますから、神経を使っています」

 普通の書道は筆を直角に構えますが、勘亭流は45度。寿亭さんが書く文字は、ひとつひとつのサイズがぴったりと同じ四角形に収まりながら驚くほど多様な表情を見せます。

 「初心者と長く書いている者とに違いがあるとすれば、『こころ』があるかどうかでしょう。文字というのは記号にすぎないけれど、そこに書く人間のこころが宿ることで華やかにも見えたり、ものうげにも見える。最初のうちは形を追うばかりでなかなかこころが入りません。ですから文字を書くことは、自分自身と向き合うことなのだとも思います」

 伏木寿亭さんが、文字に込める想いとは―

 「おこがましいかもしれませんが、役者さんには当然かなわないけれど、それ以上に芝居にぐぐっと入って演じようという気持ちで書かなければと思っています。劇場にいらっしゃったお客さんがまず芝居小屋の外で看板を見て、次に開演前に筋書を読みながら、芝居にきた楽しい気持ちを味わってもらわなければなりませんから。舞台を見せずに、歌舞伎らしさが伝わるような文字を書きたいと思っています」

 勘亭流を通して日本に残していきたいもの。それも、こころだと言います。

 「とにかく勘亭流で大事なのは8割の人が『読める』ものであること。そして歌舞伎らしさを『感じる』文字であること。そこに必要なのは、見る人の立場に立って想像するということなんです。日本人らしい気遣いというものが、この勘亭流にはあるのではないでしょうか」

 江戸から現代へ。芝居小屋の形態が変わっても荒ぶる魂を舞台で迸らせる役者と、観客たちの熱狂は力強い文字の中で生き続けています。

小宮康孝

伏木寿亭

1931(昭和6)年、栃木県鹿沼市に生まれる。
40歳代で、戦後約40年間歌舞伎座の筋書を書き続けた保坂光亭(1907〜1997年)の勘亭流教室に入門。初伝、中伝を経て1993年(平成5年)に光亭師より奥伝を許され、師亡きあと、歌舞伎座をはじめ、各地の歌舞伎を上演する劇場の看板や筋書を手がけるとともに後進の育成にあたっている。 現在、歌舞伎座、新橋演舞場、名古屋御園座、福岡博多座を担当する。 劇場関係の印刷物の他、十八代目中村勘三郎襲名公演では『弥栄芝居賑(いやさかえしばいのにぎわい)』にて大道具の劇場招き看板の文字を、出版物では五代目坂東玉三郎写真集の題字全てを手がけた。


江戸職人手帖

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