「役者絵」とともに残る世界最高の手技

絵の具、筆などは整然と配置。道具の置き方ひとつで作業の効率が大きく変わる。

 

上左:絵の具を版木に載せる。 上右:絵の具が均一になるように刷毛で版木になじませる。
左:背筋を伸ばし、腰からぐっと体に力を入れて摺る。「絵の具を紙の中に浸透させる印刷法は古今東西で浮世絵にしか見られないでしょう」と仲田さん。

 

役者絵の場合、輪郭、着物の色や柄、眉や口元といった版木を重ねると完成する。早く大量に摺るため版木の数を抑えていたと言う。

 今回はアダチ版画研究所に所属する摺師の中でも最年長、摺師の仕事を50年以上続けている仲田さんにお話を伺いました。前回、彫師の新實さんが仕事を見せてくれた東州斎写楽の「大谷鬼次Ⅲ 奴江戸兵衛」をここで仲田さんが摺り上げます。

仲田 「まずは大きな刷毛を使って和紙全体を湿らせます。和紙は伸び縮みしますから、版木を重ねる最中に紙の大きさが変わらないように、湿度が一定になるようにしておかなければなりません」

 「奴江戸兵衛」の版木は4枚。1枚の板の表と裏に線描や色版が彫られています。版木の上に和紙を置き、バレンを動かす仲田さん。色の摺り込み具合は、手の感触と音とで判断すると言います。

仲田 「浮世絵版画は“摺り”という言葉通り、和紙の繊維の中に絵の具をきめこむ、つまり摺り込んでいくんです。紙の上に絵の具やインクを“のせる” 通常の印刷とは技法が全く違います」

 紙の中に色が浸透するため、摺ったばかりの和紙に試しに手を触れてみても色が指につくことはありません。これが、浮世絵の鮮やかな色彩の秘密です。

仲田 「この写楽の役者絵には4枚の版木を使います。風景画に比べて版木が少ないのは、芝居の興行に合わせ作るため、短期間に大量の枚数を摺る必要があったからだと考えられているんですよ」

 江戸時代の技術を継承する職人をかかえ、浮世絵の復刻なども手がけるアダチ版画研究所では、希少である江戸時代の版木の再摺事業などにも携わってきました。当時の版木を見ると、かなりすり減っているものもあり、大量生産された跡がうかがえると言います。仲田さんが版木に色を載せ、紙を重ねバレンで摺り込んでいく一連の作業もスピーディーに進んでいきます。

仲田 「現在は、だいたい100枚くらいを完成させるのに110枚くらいの紙を入れ、最初の数枚で色の調子や板のズレなどを確認して、これで良いとなると残りを一気に摺っていきます。」

 浮世絵は出版物でしたので、職人には早く仕上げることが求められました。ですから大量に摺り上げるのは常に時間との戦いです。江戸浮世絵に向き合い続けてきた仲田さんは、浮世絵には役者の人気と絵師の工夫が盛り込まれていると言います。

仲田 「着物に描かれた紋が必ず正面を向いているのは、描かれているのが“誰なのか”がとても大事だったからでしょう。輪郭や着物の線描部分には黒い絵の具を使いますが、役者絵や美人画は風景画に比べて薄めにします。くっきりと色を決め込みすぎてしまうと顔が真っ黒になってしまうんです。色の濃淡などのバランスは、長年の経験を積むことによって学んでいくものです」

 摺師が作業をする机は、前方に向って斜めに傾いています。紙の隅々まで均等に力をかけるための工夫です。それにしても前傾を保ち続けての作業、身体の負担は大丈夫なのでしょうか。

仲田 「弟子入りして最初の頃は腰が痛くなりますが、徐々に負担のかからない姿勢を覚えていきます。おかげさまで私はどこも痛くありません(笑)。見習いになって最初の頃は、1日中この姿勢を保つことが苦労です」

 
仲田昇 (なかた・のぼる)

仲田昇 (なかた・のぼる)

中学校卒業後、ただちに摺師の修業をはじめる。若山木版画を経て、昭和43年アダチ版画研究所に入社。
1987年ボストン美術館で葛飾北斎のオリジナル版木が大量に発見された際に、調査の一環として、摺師として現地で摺りを担当。シュレーダー元ドイツ首相の前で摺り実演をしたこともある。これまでの実演回数は数百回。ストイックでリズミカルな摺りは各地で絶賛され、今なお実演を精力的に行い、木版画の啓蒙活動に尽力している。


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