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幸四郎、染五郎、金太郎も登場「高麗屋三代襲名記念展」オープン
8月3日(木)、東京・和光で「高麗屋三代襲名記念展」が始まり、オープニングセレモニーに松本幸四郎、市川染五郎、松本金太郎が登場しました。
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昭和56(1981)年10月・11月の歌舞伎座にて、歌舞伎界で初めて、親子孫三代そろっての襲名披露興行が行われました。その年の8月、記念の展示会が開かれた銀座の和光で、36年ぶりに再び「高麗屋三代襲名記念展」が開催されます。
二代目白鸚となる幸四郎は、「去年、三代襲名を発表、年が明けて歌舞伎座で三人の口上の写真を撮らせていただき、そして、今回の和光さんでの記念展。36年前も同じところで同じ展示会をさせていただきました、感無量でございます。(襲名までの)カウントダウンに入ってまいりましたが、新しい名前で親孝行ができると思うとこれまた感無量。展示の品は三人が心を込めた、魂の入った、懐かしい、愛おしい品ばかり。お時間の許す限りご覧くださいましたら、来年の襲名への励みとさせていただきたいと思います」と挨拶。
染五郎は「これまでの私を展示させていただいております。これまでのことが間違いではなかったということを証明するために、来年1月から松本幸四郎として勤めてまいりたいと思います。それまで、こちらで多くの方にご覧いただきたいと思っております」と、襲名への思いを込めて語りました。
迫本淳一松竹株式会社社長は、「和光の時計塔とともに可愛がっていただいている歌舞伎座は、明治22(1889)年の開場から来年で130年の節目を迎えます。大きな節目の年の劈頭(へきとう)に高麗屋三代襲名、門出を飾ることができるのは意義深いことです」と、記念展の開催にあたり、和光、高麗屋、歌舞伎座の深い縁に感謝しました。
続いて、共催の株式会社 和光の安達辰彦社長からも、「和光のショーウインドウに口上の写真を掲出しております。このショーウインドウは銀座を訪れる方へのおもてなし。国内外を問わず、歌舞伎の魅力に触れていただけるのではないでしょうか。(時計塔のある)和光の建物も竣工85年、服部時計店小売部門から和光となって70年、節目の年に歌舞伎のお祝いができるのはうれしいことです」との挨拶がありました。
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この記念展のオープンセレモニーでは、来年1月・2月歌舞伎座での襲名披露演目も発表されました。
来年の「壽初春大歌舞伎」昼の部では『菅原伝授手習鑑』で、「車引」の松王丸を染五郎改め松本幸四郎、「寺子屋」の松王丸を幸四郎改め松本白鸚。夜の部は『勧進帳』で武蔵坊弁慶を染五郎改め幸四郎、源義経を金太郎改め市川染五郎。「二月大歌舞伎」は昼の部『一條大蔵譚』「檜垣・奥殿」の一條大蔵長成、夜の部『熊谷陣屋』の熊谷次郎直実を染五郎改め幸四郎。こちらも夜の部で『仮名手本忠臣蔵』「七段目 祇園一力茶屋の場」の大星由良之助を幸四郎改め白鸚、大星力弥を金太郎改め染五郎。
昭和56(1981)年の三代襲名披露では、10月の『勧進帳』の弁慶と『寺子屋』の松王丸、11月に『熊谷陣屋』の熊谷次郎直実ほかで九代目幸四郎を襲名。10月の『仮名手本忠臣蔵』「七段目」で、由良之助の初代白鸚、力弥の七代目染五郎が襲名を披露しています。同じ役で同じ名跡が引き継がれ、高麗屋の歴史が着実に刻まれていることを体現する襲名披露興行となります。
金太郎は「1月は『勧進帳』の義経という大役で襲名、2月は父が36年前に染五郎を襲名したときと同じ大星力弥で襲名させていただきます。高麗屋にゆかりある役で襲名させていただくことをうれしく思います」と、きりりと表情を引き締め、来年に向けての意欲を見せました。
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「記念展」は、九代目幸四郎、七代目染五郎、四代目金太郎、それぞれの思い出の舞台写真に加え、幸四郎の『勧進帳』弁慶1000回上演時の中啓などのゆかりの品から、舞台衣裳や鏡台、金太郎直筆の絵や工作物まで、約150点を展示。最後に、金太郎初舞台の『門出祝寿連獅子』(平成21年6月歌舞伎座)の押隈から8年、三代の門出を記念した新たな押隈のパネルへ、三人それぞれが襲名する名前を書き入れ、オープニングイベントが終了しました。
「高麗屋三代襲名記念展」は、和光の本館6階の和光ホールで、9日(水)までの開催です。