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仁左衛門が語る、大阪松竹座「七月大歌舞伎」

仁左衛門が語る、大阪松竹座「七月大歌舞伎」

 

 2023年7月3日(月)から始まる大阪松竹座「七月大歌舞伎」夜の部『俊寛』に出演する片岡仁左衛門が、公演に臨む思いを語りました。

 今夏は大阪松竹座の開場100周年を記念しての開催となる「七月大歌舞伎」。「100年の歴史は重く感じますが、100周年であっても、いかに良い公演にするかを一番に考えるということは同じです。大阪松竹座というと、(平成9〈1997〉年の新築開場に向けての工事で)劇場の顔である正面玄関(ファサード)だけが立っていたときに、阪神大震災が起きました。正面玄関は北向きに立っていて、南北方向の揺れが大きかったにもかかわらず、倒れなかった。これは凄いことだと思います。大阪松竹座に住んでいらした神様が遺してくださったというか、遺りたかったというか。何か感じるものがありますね」と、感慨深げに語りました。

 

お客様を物語の世界へ誘う

 仁左衛門が演じるのは、夜の部の近松門左衛門作『俊寛』での俊寛僧都。平成4(1992)年10月に歌舞伎座で初めて演じて以来、8度目を数えます。「非常に分かりやすいお芝居で、初めて歌舞伎をご覧になるお客様でも、鬼界ヶ島の場面での俊寛の気持ちに共感、共鳴していただけるのではないかと思います。お客様にお芝居としてご覧いただくというよりも、実際行った現場に居合わせているような気持ちでご覧いただけるのが私の理想です」と、にこやかな表情を浮かべます。

 

 俊寛という役は、「あの場面だけご覧になると優しい温厚な人に見えますが、平家に対して謀反を起こした反逆者。そういう血気盛んな人で、よぼよぼしていて白髪がありますから、お年寄りだと思われている方が多いですけれど、決してお爺さんではない。父(十三世仁左衛門)もそう言っていました」と、話します。

 

 初役で演じる際に指導を受けたのが、その十三世仁左衛門。「すべて父に教わりました。最初はお手本を追うことで精一杯でしたが、何度も勤めている間に、自分なりの俊寛像が生まれてきました」と明かします。「(赦免の使者の)瀬尾にとどめを刺すとき、その先に平清盛がいるかのような思いで演じています。そういうところが変わってきました。都へ戻る船に自分の代わりに乗せた(海女の)千鳥や、(仲間の)丹波少将たちとの別れ際では、微笑み返します。“いいんだよ、幸せになってくれよ”という気持ちが強いですね」と、役づくりの変化を口にしました。

 

仁左衛門が語る、大阪松竹座「七月大歌舞伎」

 

俊寛の複雑で奥深い心境

 仁左衛門は、島に一人残された俊寛が船の後を追ってしまう場面で、海中に見立てた花道のすっぽんに入る珍しい演じ方をしています。「以前、あるお寺に、船を追いかける俊寛を水主たちが追い払っている絵がありました。そこに描かれていた俊寛の執念や執着のようなものを見たときに、初代(市川)猿翁のおじさまや河内屋のおじさま(三世實川延若)がすっぽんに入る演り方をなさったような記憶があるのを思い出し、4度目の大阪松竹座(平成16〈2004〉年7月)で、演ってみようと思いました。死ぬかもしれないけれども、海に入って船を追いたい。それが、そのときの俊寛の心境ではないでしょうか。今のお客様には、今の私の演り方が伝わるのではないかなと考えています」。

 

 遠ざかる船を岩の上で見つめる幕切れの心境については、「お客様それぞれの感じ方で想像していただきたい。こちらの気持ちがどういう風に伝わるか。それは演者の楽しみですね。いろいろな演じ方があり、私も日々変わっていきます。ただ、俊寛が穏やかな気持ちに返って、みんなの幸せを願い、“これで良かったんだ”と己への満足感があるほうが、幕が下りたときにお客様も安堵されると思います。最後にすべてが洗い流されて、仏様のような静かな心に戻る俊寛の複雑さを演じるのも楽しいです」と、役に対する深い思いを語りました。

 

 大阪松竹座の「七月大歌舞伎」は、関西での歌舞伎のファン層を広げることを目的に始まった公演。「一時に比べて関西での歌舞伎公演は増えましたが、もっと増やしたい。初めてご覧になるお客様も、観慣れてくるとだんだんせりふを理解してくださいます。いつも申しますが、ぜひ3回観ていただきたい。最初は自分の感性だけでご覧いただいて、次にイヤホンガイドを聞いて理解を深めながら観ていただいて、もう一度イヤホンガイドなしでドラマに入り込んでご覧いただけるとありがたいと思っています」と、力強く呼びかけました。

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 大阪松竹座「七月大歌舞伎」は7月3日(月)から25日(火)までの公演。チケットは、チケットWeb松竹チケットホン松竹で販売中です。

2023/06/13