歌舞伎文様考
今回の対談のゲストひびのこづえさんと伊藤俊治さん(INAX:GINZA前で撮影)
『野田版 愛陀姫』衣裳に秘められた「青と赤」の物語
今年8月の納涼大歌舞伎で上演された『野田版 愛陀姫』。イタリアの作曲家ジュゼッペ・ヴェルディが作曲したオペラ『アイーダ』を翻案した新作は大評判のうちに幕を閉じました。 古代エジプト王朝を舞台に繰り広げられる男女の恋物語、戦に翻弄され肉親と敵国との間で揺れる忠義の心を描いた物語を、日本の戦国時代の美濃の斎藤家と尾張の織田家に移した野田秀樹さんの脚本は、新しさの中に歌舞伎のエッセンスが色濃く浮き上がります。ひびのさんが今回の衣裳デザインに込めたコンセプト、想いとは…。
伊藤 「ひびのさんは現代劇はもちろん、オペラやテレビ番組など幅広いジャンルの仕事にコスチュームを提供してきましたが、歌舞伎の仕事が来た時、どんな気持ちでしたか?」
ひびの 「正直驚きました。最初は串田和美さんが演出なさった『コクーン歌舞伎』だったのですが、勉強しても着物についての詳しい知識には追いつかないし、ただただ必死にやり遂げたという感じで(笑)。歌舞伎だから大変ということを感じる余裕はありませんでした」
伊藤 「今回の『野田版 愛陀姫』は歌舞伎では5作目になりますよね。この芝居は美濃の国の濃姫と織田の国の愛陀姫がひとりの男性を巡って対峙してゆきますが、まずどのようなコンセプトからスタートしたのですか?」
ひびの 「原作のオペラ『アイーダ』では、濃姫にあたるアムリネスはエジプトの王女で、愛陀姫にあたるアイーダは敵国エチオピアの王女なんです。今回の歌舞伎でふたりは国こそ違え同じ日本人ですが、当時は今のように交通網や情報も発達していないので違う文化や民族性だということを際立たせて見せていってもいいのかなと思いました。そこで美濃の人々が着る衣裳は青を貴重に、織田の人々は赤に色分けをしました」
伊藤 「美濃の人々をブルーにしたのはなぜですか?」
ひびの 「美濃の国を流れる長良川が彼らの心の原風景であり、誇りなのではないかという発想からテーマが生まれました。中村橋之助さんが演じた木村駄目助左衛門が着ている裃や、美濃軍の旗にあしらった浪の文様も長良川のイメージからです」
伊藤 「軍隊が持つ旗もコスチュームデザインの範囲なのですか?」
ひびの 「本来は美術の持ち分になるのですが、衣裳のデザインだけではなく空間全体で世界を作っていくために美術担当の堀尾幸男さんにデザインをこっそり渡したんです(笑)。そうしたら採用してくださいました」
伊藤 「歌舞伎にはすでに何百年も継承されてきた古典の文様がたくさんありますよね。その中で新しい文様やデザインを生み出していくのはどんな気持ちですか?」
ひびの 「基本的には脚本を読んで内容を理解し、コンセプトを立ててデザインに落とし込んでいく作業は現代劇やオペラをやる場合と変わりません。ただ歌舞伎は、伝統的な文様の意味を知って自分自身の発想を膨らませていけるのが本当に楽しいし勉強になります。そのためにも歌舞伎本来の文様をもっと知りたいと思っているのですが…なかなか(笑)」
歌舞伎文様考
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