『祇園祭礼信仰記』雪姫の衣裳

『祇園祭礼信仰記』雪姫の衣裳。「三姫」の中でも既婚者である雪姫は、時姫、八重垣姫の赤い振袖とは異なり鴇色(ときいろ)の振袖を纏う。

雪姫の衣裳にあしらわれた「雪輪」

雪姫の衣裳にあしらわれた「雪輪」。

『積恋雪関扉』

『積恋雪関扉』。三世歌川豊国画 安政5年 (1858年)。関守の関兵衛(せきべえ)が天下を狙う大悪人の大伴黒主(おおとものくろぬし)、遊女墨染(すみぞめ)が小町桜の精、というそれぞれの本性をあらわして争う場面。 早稲田大学演劇博物館蔵。無断転載禁©The TsubouchiMemorial Museum, WasedaUniversity, All Rights Reserved.

桜と雪 異なる季節の組み合わせが意味するもの

 様々な要素と組み合わされる桜の文様の中でも、楓と並べたものは特に知られています。智積院の障壁画「桜楓図」は日本の自然美が横溢する桃山時代の傑作で、これに倣った文様が江戸時代に数多くつくられました。桜と楓は、春と秋という通常ありえない並置が文様を際立たせ印象を強烈にします。

 さらに意表を突くのが、桜と雪を組み合わせた文様です。
『祇園祭礼信仰記(ぎおんさいれいしんこうき)』「金閣寺」の雪姫の鴇色の振袖には、雪輪の中に桜が咲く連続文様が描かれています。
 雪はもともと豊年の兆しとして尊ばれてきました。文様化されるのは室町時代、初めは草木に降り積もる雪持文様として能装束に使われ、元禄時代には円形の雪輪が、清々しい印象を与える文様として夏の衣裳に染められ人気を博します。
 雪輪とは雪の結晶のことで、江戸後期に雪の結晶が顕微鏡を使って観察されると多様な結晶文様が数多く生まれます。雪輪文様は結晶法則に従い、六弁にするのが基本で、この輪の中に草花や蝶鳥を組み合わせ、華麗な囲み文様がつくられました。こうした雪輪囲みは風流人に愛好され、やがて春の桜、秋の月とともに雪月花の好みは一般にも浸透してゆきます。桜の花びらが落ちる様と雪の舞う様が似通っていたためでしょう、桜と雪輪とは相性が良く、様々な文様のウ゛ァリエーションが生まれています。

 『祇園祭礼信仰記』の中で雪舟の孫娘である雪姫は、松永大膳に逆らい桜の樹に縛りつけられます。夫で絵師の狩野之助直信も捕えられ首を討たれんとする時、雪姫の嘆きが募るとともに桜の花が舞台いっぱいに降り頻ります。
 追い詰められた姫が思いついたのは、したたり落ちる涙を使って爪先で鼠を描くとその鼠が動き出すという祖父雪舟の故事。実際に足元の降り積もる桜の花びらで描いた鼠は動き出し、雪姫を縛る縄を食いちぎります。
 歌舞伎の文様は四季と密接に結び付き日本の自然を愛でてきましたが、同時に四季を人工的に再配置し、超自然的な出来事を促す役目も果たしてきました。
 雪姫が纏う衣裳に描かれた雪輪桜文様は、鼠が動き出すという奇跡を象徴しています。

 桜と雪の組み合わせが象徴する超常的な世界といえば、『積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)』も忘れられません。一面の銀世界に咲く桜は、仁明天皇の崩御を悲しむあまり雪中に薄墨色で狂い咲いたもの。その薄隅桜に宿る精霊が夫を殺した男を滅ぼそうとする物語もまた、桜の持つ生命感とはかなさから生まれた美学ではないでしょうか。

伊藤俊治




伊藤俊治

伊藤俊治
1953年秋田生まれ。東京藝術大学先端芸術表現科教授、美術史家・美術評論家。美術や建築デザインから写真映像、メディアまで幅広い領域を横断する評論や研究プロジェクトを行なう。装飾や文様に関する『唐草抄』や『しあわせなデザイン』など著作訳書多数、『記憶/記録の漂流者たち』(東京都写真美術館)『日本の知覚』(クンストハウス・グラーツ、オーストリア)など内外で多くの展覧会を企画し、文化施設や都市計画のプロデュースも行なう。『ジオラマ論』でサントリー学芸賞受賞。


歌舞伎文様考

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