歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



「洋服でもきものでも赤が好き」という菜月さん。鮮やかな赤地に四季折々の花を描き出した古典柄の振袖がとてもよく似合います。金地に古典柄の袋帯を華やかに結んで。髪飾りと帯締にも赤を効かせ、重ね衿と帯揚には振袖や帯に使われている黄色系をあわせて品よくまとめました。

 

お母様の賢子さんは、黒を基調とする市松模様のバリエーション柄のきもの。「黒を着ることが多いですが、子どもたちは淡い色のきものもいいねと言ってくれます」とうれしそうに話してくれました。蔦の葉をあしらった染帯にアクセントの帯留と挿し色の帯揚という、おしゃれな装いです。

 
娘に振袖を着付けてあげたい
 中田賢子さんが、本格的に着付を習おうと思ったきっかけは、2人のお嬢様の成人式に、振袖を自分の手で着せてあげたいという想いからでした。

 9年間、航空会社の客室乗務員として勤務していた中田さんは、いつも物静かな後輩が、ある集いに「自分でお稽古して着てきました」と淡いきものを着て現れたときのことを話してくださいました。「その姿は凛として魅力的で、多くの華やかな美しいドレス姿の女性の中で、ひときわ輝いていました。このとき、きものって本当に素晴らしい!と思ったんです」

 いつか私も自分できものを着こなしたい、との想いから何度か着付教室にも通いました。しかし、ご主人の転勤で続けられず、とても残念に思っていた中田さんですが、今から8年半前、ふと長沼静きもの学院横浜校の案内に目が留まりました。息子さんが小学校に入学して自由な時間ができたこともあり、改めて着付を学ぶ決心をしました。

 「子どもたちはどんどん成長していつかは巣立っていくから、私も自分の世界をもったほうがいいと思いました。着付が学べることはとてもうれしかったですね」。そんな母の様子を長女の菜月さんは、最初はあまり気に留めませんでしたが、中田さんから「着付の練習をするからモデルになって」と頼まれるようになりました。

 「初めの頃はちょっと苦しくて早くしてほしいなぁと思ったこともありますが(笑)、母の真剣さはひしひしと伝わってきました」。中田さんも「私が一所懸命、練習している姿を見てもらうことで、何事も繰り返し練習することが大切だと子どもたちにも伝えられ、よい刺激になったのではないでしょうか」と振り返ります。

きもので深まる親子のコミュニケーション
 学び続けるうちに着付の楽しさに目覚め、何か行事があって外出するときなど、できるだけきものを着る機会を増やしていった中田さん。菜月さんをはじめ3人のお子様も「今日のきものは素敵ね」「そのきものは何ていうの?」と声をかけてくれるようになりました。

 「私自身、日本人ならきものは着られたほうがいいと思っていましたし、子どもたちが“きもの”という日本の伝統文化に興味をもってくれたのは思いがけない喜びでした」。やがて中田さんは資格を取り、着付師として仕事をするようになり、振袖の着付を何度も経験してきました。自分の娘に振袖を着付けてあげる日を思い描きながら、中田さんはプロとして腕を磨き続けます。

母の夢がかなった日
 12月初旬、菜月さんの成人式の写真の前撮りが決まり、中田さんは菜月さんの振袖を心を込めて着付けました。中田さん自身が振袖姿の記念撮影をして嬉しかった日を思い出し、改めて両親に感謝する気持ち、自分の娘が成人式を迎えるまでに成長したことの喜びなど、さまざまな想いが心にあふれたそう。ご主人からも「夢がかなってよかったね」と言われました。

 「娘に振袖を着付けてあげられたことは、母親として最高の幸せ。この“ひととき”を娘と共有できて本当によかったです」。 菜月さんも中田さんの着付に大満足。「モデルになった頃とはまったく違って、母の着付はとても手早くて全然苦しくありませんでした。母はこの日のために着付を習ってくれたんだなぁと、感謝の気持ちでいっぱいです」。

 母である中田さんがプロとしてどんな仕事をしているのかを理解でき、尊敬の念がわいてきたと語る菜月さん。振袖の着付は母娘の絆をいっそう強くしてくれたようです。

長沼静きもの学院

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