歌舞伎いろは
【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。


千利休が雪の日の茶会に出かけるために考案したと言われる雪駄は、竹皮草履の裏に皮を張りつけた丈夫な履物です。京や大坂の雪駄直しの掛け声は「なおし、なおし」でしたが、江戸では「手入れ」がなまって「でえい、でえい」となったそうです。
庶民は瀬戸物(焼きもの)を多く使っていましたが、現在よりも割れやすいものでした。なお焼継ぎはつぎはぎの後が残るため、高級な茶道具などには用いません。

其の一 壊れたら直すもの

 江戸の町には、さまざまな商売人たちが行き交います。「でえい、でえい」と声がしたら、それは雪駄直しです。雪駄は歌舞伎の舞台でよく登場し、その裏で働く大道具方などの履物として現在も使用されている履物です。江戸の頃は、物が壊れてもすぐ買い替えたりせず、修繕するのが当たり前のことでした。なかでも雪駄は直して履き続けるもので、「直し」といえばすぐに雪駄直しをさすほどだったのです。

 もちろん、直して使うのは雪駄ばかりではありません。たとえば「焼継屋(やきつぎや)」も大変人気がありました。焼継屋は、割れた瀬戸物を白玉粉で焼いてつないでくれます。これが流行ると川柳や浮世絵では、『番町皿屋敷』のお菊が井戸の中から皿の修理を頼み焼継屋が腰を抜かす、といったシーンも登場するようになりました。

 この他にも、物を直す商売は数え切れないほど存在しました。桶は「たが屋」が、下駄は「下駄の歯入れ」が、そろばんは「そろばん直し」が来て直しました。時間と手間をかけて物が作られていたこの時代、「直し」は生活の中の基本でありビジネスチャンスでもありました。

くらしの今と昔

バックナンバー