歌舞伎いろは
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江戸の頃の古着屋の数はたいへん多く、1000軒以上あったと言われています。なかでも日本橋富沢町は、古着屋の軒が連なり大きな市も立つ町でした。
豪華絢爛な装束でなくても、新しい着物というのは庶民にとっては贅沢なものでした。そのため古着売りは日常に欠かせない存在でした。

其の二 着物は竹馬に乗って来る

 物を無駄にしない江戸では、着物も古着が当たり前です。現在も繊維業関連の問屋が並ぶ日本橋富沢町は、古着屋の軒が連なり大きな市も立つ町でした。日常着や各地の名産織物、大名クラスの豪華な着物もここに集まり、また全国へと買われていったのです。なお富沢という名は、鳶沢陣内(とびさわじんない)に由来します。彼は名うての大泥棒でしたが、ついに御用となった時にお上はこれを許します。改心した彼は手下を集め、元吉原のそばで古着買いの商売を始めたのです。そうやって商売をしながら、彼は隠密の務めを果たしていたのだとも言われています。真相はともかく「鳶沢町」は着物の集まる町として発展し、そしてやがて「富沢町」と呼ばれるようになりました。

 江戸を歩きながら、古着を売って回る商人たちもいました。竹で作った馬のような形の物に古着や古布をかけて歩く「竹馬古着売り」が長屋にやって来ると、おかみさんたちがいそいそと出て来て竹馬を取り巻きます。かつては腕に古着をかけて歩いていた商人が、腕が疲れるので竹の馬を使うようになりました。江戸から生まれたこのスタイルは、やがて京都や大坂にも伝わっていきました。

くらしの今と昔

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