歌舞伎いろは

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長谷寺から極楽寺へ

 鎌倉における弁天小僧ゆかりの地として絶対に欠かせないのは長谷寺といっていいだろう。実は弁天小僧は、兄貴分の南郷力丸とともに強請りに入った浜松屋の主・幸兵衛のひとり息子。「蔵前の場」で幸兵衛によって明かされる真実は次のようなものだ。なかなか子供に恵まれなかった幸兵衛が初瀬寺(はせでら)の観音さまに祈願したところやっと息子を授かったという秘話、そしてその子・幸吉が幼い時に、縁日の夜の喧嘩騒ぎで幸兵衛が我が子を取り違えてしまったという事件である。

 幸吉は南郷の親に拾われ、やがて弁天小僧と呼ばれるようになったというわけだ。境内での取り違えがなかったら弁天小僧は南郷に出会うこともなく、それ以前の問題として幸兵衛が観音さまにお願いしなかったら、存在すらしてなかったかもしれないのである。

 これらの関係が判明する前にわかるのは、幸兵衛が我が子として育ててきたもう一方の子供、宗之助が日本駄右衛門の息子だったという驚くべき偶然だ。

長谷寺から極楽寺へ
長谷寺から極楽寺へ
 
長谷寺から極楽寺へ
長谷寺から極楽寺へ

 そしてこの場に続くのがメンバー五人揃いの衣裳で登場する「稲瀬川勢揃いの場」だ。錦絵さながらの舞台の美しさ、五人それぞれの名台詞、歌舞伎の様式美が凝縮されたこの場面は何度観てもわくわくする。稲瀬川とはいうものの書割に描かれているのは江戸庶民にとってお馴染みの風景。まさしくそれは桜満開の隅田川だ。

 さて、追っ手を逃れた日本駄右衛門が隠れ潜むのが極楽寺。長谷寺から極楽寺までは江ノ電で一駅の距離だ。その前にぜひ立ち寄りたいのが、鎌倉最古の神社といわれている長谷の鎮守、甘縄神明宮(あまなわしんめいぐう)である。なぜなら社殿の裏山、木々が鬱蒼と生い茂った地が御輿ヶ嶽と呼ばれているからだ。そして物語を動かすキー・アイテム「胡蝶の香合」を弁天小僧が千寿姫から奪うのが、序幕の「御輿ヶ岳の場」である。

 

 地獄谷といわれていた地にある極楽寺は極楽寺駅のすぐそば。極楽寺山門の上で弁天小僧は立腹を切って最期を遂げる。瓦が波打つ大屋根の上でのダイナミックな立廻りと、その屋根が回転して場面転換するスペクタクルな「がんどう返し」は、思わず客席から感嘆の声がもれる注目の場面。

 往時には七堂伽藍を持つ大寺院だったようだが、戦火や天災によって焼失し現在の規模になったという極楽寺。現存している山門は小ぢんまりとした茅葺きの質素な佇まいで、住職の話によれば元治元年(1864年)に再建されたものであるという。『青砥稿花紅画(あおとぞうしはなのにしきえ)』というタイトルでこの芝居が初演されたのはその前々年のことだ。

 まさに動く錦絵と例えられる『白浪五人男』。フィクションと現実の風景とを重ね合わせてイメージしてみると、聞き慣れた台詞や場面がこれまでとは別の実感を伴って胸に迫ってくる。またこの芝居を観る日が楽しみでならないではないか。

長谷寺から極楽寺へ
長谷寺から極楽寺へ
 
海光庵(みたらし団子)

海光庵(みたらし団子)

長谷寺の中に由比ケ浜のパノラマを一望できる茶屋「海光庵」がある。「大吉だんご」が有名。(石原)

住所

 : 

神奈川県鎌倉市長谷3-11-2 長谷寺内

営業時間

 : 

9:30~16:20 / 無休

歌舞伎と旅

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