歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



伊藤若冲、酒井抱一らの名画を精緻に再現した細帯。

着物に慣れない現代女性むけに、結びやすくしかも本物志向の細帯を開発。新井さんが発明した、1本で四季折々に楽しめる柄付けの帯。写真は春の桜と夏のぼたんの柄。

下の観音様の織物データ。観音様の顔の部分だけで、かなり細かな色分けがされており、微妙なグラデーションになっている。

この神々しいお姿は、なんと織機で織られたもの。裏には色糸がびっしり! たくさんの色の糸を細かく使い分け、美しいお姿を描き出す。原画のデータ起しから糸を染め、織り上げるまで1年半がかりだとか。

最新流行を生み出してきた町・桐生

 上州の織物の歴史は古い。奈良時代にはすでに織物の生産に着手しており、平安時代には朝廷に絹で税を納めたという記録もある。大きく発展を始めるのは徳川家康が江戸に都を開いてからのこと。江戸という一大消費地に近く、渡良瀬川と利根川を使って荷を運べる地の利を活かして、地元名産の織物を手広く商い、みるみるうちに絹織物の町として栄えていった。

 明治に入り、外国からジャガード織など新しい技術が導入されると、桐生はいち早くその生産に取り掛かる。消費地からの大量注文に応えるため、各工程の機械化も積極的に行い、安価で良質な織物ができるようになった桐生は、ますます発展した。特に大正時代に大流行した銘仙と言われる着物地の生産では、消費者の好みをいち早く取り入れて、足利や伊勢崎とともに最新流行の柄を次々と生み出し、一大ムーブメントを巻き起こした。

 その一方で大衆向けとは別に、高級織物の町としてもやはり知られていた桐生。絹織物でもうける商人の旦那衆が多いことから、その妻や娘のために、特注であつらえられる贅沢な生地も数多く生産されていた。

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