歌舞伎いろは

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写真は円覚寺で展示されている掛仏。田村麻呂が東征の際、陣中において崇拝したといわれる観音様の掛仏はこのような物でした。
 前回お話ししたように、「文」の菅原道真に対して「武」のシンボルと言われた坂上田村麻呂ですが、現在よく上演される歌舞伎の中では残念ながらお目にかかりませんね。しかし、衣裳、大道具、小道具のひとつひとつが華やかに仕上げられ、絵のように美しい舞台が展開する『菊畑』には少しだけ田村麻呂が関わっています。『菊畑』は享保16年(1731年)初演、全五段の人形浄瑠璃『鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき)』の三段目。愚か者を装った“つくり阿呆”の演技が笑を誘う人気演目『一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)』は四段目にあたります。

 『菊畑』は「源氏に心を寄せる兵法者吉岡鬼一法眼の館に、牛若丸・鬼三太(きさんだ)主従が虎蔵・智恵内と名を変えて入り込み、虎の巻を手に入れるために苦心する」というストーリーですが、この虎の巻、かつては田村麻呂も所有していて読んでいた、というのです。

津軽藩の総鎮守とされていた岩木山神社。延暦19年(800年)、岩木山大神の加護によって東北平定を為し得たとして、坂上田村麿(麻呂)が山頂に社殿を再建。父の刈田麿を合祀したといわれている。
 虎の巻は“アンチョコ(安直から転じた俗語)”と同義語のイメージがあるので、「武勇の誉れ高い田村麻呂も牛若も虎の巻を読んでいた」という件を、虎の巻の本来の意味を知らずに解釈してしまうと身もフタもありません。が、もともと虎の巻とは兵法の秘伝を記した、文・武・竜・虎・豹・犬の六巻から成る中国の兵法書である六韜(りくとう)のうちの一巻のこと。辞書で調べると第一に「中国古代の兵法の秘伝書」などと書かれています。

 『菊畑』の外題『鬼一法眼三略巻』の「三略」もまた、中国古代の兵法書のこと。源氏代々の剣術・兵法の師範を務めた吉岡家の後裔である鬼一法眼は「六韜三略」のうちの一巻の「虎韜(ことう)」を源氏から預かっていたのでした。ちなみに「韜」とは弓や剣を入れておく袋のことで、ここでは兵法の秘策という意味で使われています。
『菊畑』歌川豊国画 左から知恵内、虎蔵、皆鶴姫、鬼一法眼。
赤い振袖に花簪(はなかんざし)で飾った吹輪のかつら。「赤姫」の鬼一の娘・皆鶴姫(みなづるひめ)はお約束どおり、情熱的に恋に生きるお姫様。“いい男”の虎蔵(実は牛若丸)に積極的に働きかける。
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文/栄木恵子(編集部)

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