歌舞伎いろは

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独特の世界が広がる“幕末の奇想の絵師”とも言われる歌川国芳が描いた「武田上杉川中嶋大合戦の図」。武田本隊に独り突入し、馬上から斬りつける謙信と軍配で太刀を防いだ信玄が描かれています(国立国会図書館蔵、無断転載禁)。
 今月訪れた新潟、越後の歴史上有名な人物、“越後の軍神”上杉謙信と、謙信とともに戦国時代の両雄と称される武田信玄。この二人が相見えて一騎打ちをする“歴史上のエピソード”「川中島の戦い」は江戸時代に大変人気があったそうです。このお話に取材して近松門左衛門が書いた『信州川中島合戦』という時代浄瑠璃は、後に歌舞伎にもなりました。現代では全五段のうちの三段目の口にあたる『輝虎配膳』以外は上演が途絶えてしまいました。この“輝虎”というのは謙信の前名。義を重んじる武将と言われた謙信なのに、『輝虎配膳』の中ではあんまりな描かれよう。その粗筋を少し追ってみると…。

 「輝虎は武田家の軍師山本勘助を味方につけるため、勘助の母と妻を館に招いて接待するが、勘助の母は輝虎のもてなす膳を足蹴にしてわざと輝虎の怒りをかって、輝虎の計略をぶち壊す」 というお話。輝虎は怒りを爆発させて勘助の母に斬りかかるという短慮な武将として描かれています。輝虎が自ら配膳するから『輝虎配膳』…。わかりやすいタイトルです。
 『傾城反魂香(けいせいはんごんこう)※』のども又の女性版よろしく、勘助の妻が琴を弾きながらその音色に乗せて不自由な口で台詞を言ったり、謙信が姑に斬りかかったのを琴で遮ったり。面白い趣向が盛り込まれています。

 なぜこの物語が武田の側にたったような脚色なのかというと、そもそも『信州川中島合戦』が、信玄の臣の高坂弾正が書いた『甲陽軍鑑』に基づいているため。江戸時代は甲州流軍学が盛んで、『甲陽軍鑑』は甲州流軍学の聖典。講談・小説に語られる信玄や謙信のイメージを決定づけたほどよく読まれたそうです。

 ドラマや映画のシーンでもお馴染みの「川中島合戦」での謙信、信玄の一騎打ちも『甲陽軍鑑』に基づいたもの。史実ではないだろうと言われていますが、まさか、このシーンを無しにすることは、もはや、観る側としては納得がいきません。学術的には問題かもしれませんが、これもまた、人々の間に定着した歴史文化という気がします。

※主人公の浮世又平が、女房の鼓で舞いながらだと不自由なく口が回る、という場面があります。『傾城反魂香』も『信州川中島合戦』と同じ、近松門左衛門の作。


文/栄木恵子(編集部)

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