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「八代目中村芝翫襲名を祝う会」で親子四人が見せた襲名への思い
5月28日(土)、東京都内のホテルで、「八代目中村芝翫 四代目中村橋之助 三代目中村福之助 四代目中村歌之助 襲名を祝う会」が開かれ、中村橋之助と、中村国生、中村宗生、中村宜生があらためて襲名への思いを語りました。また、八代目中村芝翫の襲名披露演目も発表されました。
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七世芝翫の名跡を継ぐことの大きさ
四人の襲名を祝う人々で広い会場が埋め尽くされ、開宴前から華やかな空気に包まれた「祝う会」。大谷信義松竹株式会社会長から、橋之助の曽祖父、五世歌右衛門と松竹の東京進出を巡っての深い縁が明かされ、成駒屋一門の新たな門出に向けての祝辞から会が始まりました。迫本淳一松竹株式会社社長からは、歌舞伎座開発へ尽力された七世芝翫の功績を称え、その芝翫から橋之助の芝翫襲名を託されたことを振り返って、「その気持ちに多少なりとも報いられたかと」、安堵とともに今後の活躍を祈念する言葉が贈られました。
日本俳優協会会長として坂田藤十郎は、「橋之助さんの父、芝翫さんは歌舞伎の王道、本流の歌舞伎を続けてこられました。正統派らしい、きっちりとした、磨き上げられた格調高い芸、懐かしゅうございます。橋之助さんがその芝翫さんの名前を受け継ぐこと、大変おめでたい。歌舞伎の芸の継承と歌舞伎界の発展のため、ご尽力ください」と、激励しました。
成駒屋という老舗を守っていく
祝辞を受けて壇上に立ち、会場を見渡して「感無量」と喜んだ橋之助は、「芝翫は成駒屋にとりまして大切な名跡。父は病室に兄弟一人ずつを呼び、深々と頭を下げて私には芝翫を襲名するように言ってくれました。父が指名してくれるとは夢にも思っておりませんでした。父は早くに父を亡くし、歌右衛門の叔父と手を携えて成駒屋という老舗を守ってまいりました。その責任を課せられたのが私たち兄弟と息子たち。若輩の成駒屋、長きにわたる襲名披露、ご贔屓、ご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」と挨拶しました。
鏡開きに続いて乾杯の挨拶に立ったのは、橋之助の主演映画『ダウンタウン・ヒーローズ』を撮った山田洋次監督です。ラストシーンに七世芝翫が出演、「橋之助さんが芝翫を名のる日が来るのかな、夢のような話だけれどと思っていたのが…」、現実となる場に自分がいられて幸せな気持ちですと、声高らかに乾杯の発声が行われました。
謙虚と感謝と信念と
歓談中には、三人の息子たちのインタビューも行われました。微笑ましいプライベート写真が披露されてその成長ぶりと、襲名を前にますます輝きを見せる三人に、会場の皆さんも目を見張るばかり。宜生は歌舞伎俳優として初めて怒られた稽古の写真を見ながら、「歌舞伎の魅力は立役から女方まで幅広く演じられること。一生かけてやっていくものです」と誓いました。
宗生は、襲名披露発表で母が泣いているのを見て頭が真っ白になったことを明かしつつ、「歌舞伎は大切なもの。大切なものの中でも特別なもの」と、真っ直ぐな気持ちを見せました。国生は「男臭くて鳥肌が立つような立役になりたい」と、楽しみな目標を掲げ、「襲名はゴールでなくスタート。一所懸命勉強していきたい」と意気込みを話しました。
会の終わりにお礼の挨拶に立った橋之助は、盛会を父のおかげと感謝して「襲名して父に少しでも孝行できるかなと思いました」と語り、「父が、人間は謙虚で、感謝の気持ちをもって、信念を忘れるなと、この3つの言葉を大事にしなさいと言っておりました。この言葉を大事に、家族そろって一所懸命勤めます」と、秋からの襲名披露に向け、あらためて決意のほどを述べました。
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華やかな宴がお開きとなり、囲み取材で、「芝翫の名跡の重さを実感した。いろんなものを背負っていく覚悟も決まった」と、表情をいま一度引き締めた橋之助。「会場で、芝翫さんと呼ばれて鳥肌が立つほどうれしかった」とも言います。
「息子たちには最初から名前を継がせるのではなく、どこかのポイントで名前をつけて背中を押すのが父親の仕事、と父から言われておりました。成駒屋の老舗を守っていくのは僕らに課せられた仕事。一家一門をまとめていくのも大事、歌舞伎に尽力するのも使命」と、大きな名前とともに与えられた大役を、舞台と同じく真摯に務めようとする姿勢を見せて会場をあとにしました。
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歌舞伎座での10月「芸術祭十月大歌舞伎」と11月「吉例顔見世大歌舞伎」における襲名披露演目も発表されました。10月の『熊谷陣屋』『幡随長兵衛』、11月は『盛綱陣屋』、そして親子で踊る『連獅子』。詳細は決まり次第、公演情報でお知らせします。