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菊五郎、「團菊祭五月大歌舞伎」への思い

菊五郎、「團菊祭五月大歌舞伎」への思い

 『魚屋宗五郎』(平成26年5月歌舞伎座)尾上菊五郎

 5月3日(水・祝)に初日を迎える、歌舞伎座「團菊祭五月大歌舞伎」に出演の尾上菊五郎が、公演に向けての思いを語りました。

父の二十三回忌、菊五郎劇団への思い

 「『忠臣蔵』の塩冶判官、『摂州合邦辻』のお辻、祖父六代目(菊五郎)をしっかり見て踊っていた『藤娘』『娘道成寺』…」。枚挙にいとまのない七世梅幸の当り役のほんの一部を並べ、菊五郎は父、梅幸が活躍した菊五郎劇団への思いを語りました。

 

 昭和24(1949)年7月、六世菊五郎の通夜の日に一座の今後を梅幸や羽左衛門(当時彦三郎)らが話し合い、菊五郎劇団の発足を決めたとき、菊五郎はまだ7歳。「当時は、ほかの劇団と競争するなかで、海老蔵のおじさん(十一世團十郎)の『源氏物語』をつくったり、『忠臣蔵』を通したり、『蘭平物語』を復活させたりして、劇団としての特色を出していました」。現在、歌舞伎俳優は劇団の枠にとらわれず、共演しています。「いいことですよ。やるものの幅も広がってきましたしね」。

 

 来月は、追善する七世梅幸と十七世羽左衛門の孫の世代にあたる、亀三郎、亀寿が襲名を披露します。松緑、菊之助ら同世代どうし、「切磋琢磨して芸道に突き進んでほしい」と、菊五郎はエールを送りました。

 

菊五郎、「團菊祭五月大歌舞伎」への思い

襲名披露の『壽曽我対面』

 今回の「團菊祭」で楽善を襲名する彦三郎は1つ年下で、「彦三郎さんのほうが名子役だった」。子どもの頃から二人は、どれだけ舞台を共にしたかわかりません。『壽曽我対面』では楽善が朝比奈ならと、初役で工藤を勤め、劇中で襲名の三人と初舞台の六代目亀三郎をお客様に紹介します。いつも口上では楽しいエピソードを披露する菊五郎ですが、今回ばかりは「『対面』自体がくだけたものではないし、工藤もくだけられない」と、四人のため、格式のある舞台で滞りなく口上を行うことに心をくだいています。

 

 工藤は「高座御免こうむりましょう」と、舞台奥から降りて一度客席に断ってから上手(かみて)の高座に上がります。「九代目(團十郎)はこうした、って、そういうことを言う。真面目なんだよ」と、気心の知れた楽善の話も出しつつ、菊五郎が悩んでいるのは、今度の舞台では口上のために上がった高座から一度降りなくてはならないこと。「柝がチョンチョンと入って私が高座から降りるきっかけもほしいし…」。こうしたら、ああしたらと話す姿には、襲名と初舞台の四人を思えばこその優しさが感じられました。

 

数えきれないほど勤めた『魚屋宗五郎』

 菊五郎は『魚屋宗五郎』の宗五郎で難しいのは、少しずつ酔っていく様を見せる「魚屋内」ではなく、「玄関先」だと言います。「魚屋内はとんとんとんと運ぶんですけど、いっぺん花道を引込むでしょう、2度目に出ていくときにどうしたらいいか…。道具を回してすぐに幕を開けてくれるけれど、劇場によっては時間がかかるところもある。酔ったまま出たいんです。そして、そこから玄関前の長ぜりふまでどうやって持っていくか」、演じることにゴールはなさそうです。

 

 宗五郎は、「あんまりにもせりふが(頭に)入りすぎて」、せりふを言った気になり、「勝手に先に進んじゃうことがある」ほど何度も勤めている役。しかし、若い頃は「親父がいて、紀尾井町(二世松緑)がいて、鯉三郎さんがいて、(七世)芝翫さんがおなぎでと、がっちり芝居が固まっていて、誰もその中に割り込めなかった。私も菊之助も丁稚役はやらせてもらえませんでした」と振り返りました。

 

 そのうち、若手に役が回ってくるようになりますが、「どうしても(先輩の芝居が)目にあるから、その人の感じでやっていく」、だからまとまった芝居になるのだろうと、菊五郎は言います。顕彰、追善、襲名、初舞台に初お目見得と、まれにみる「團菊祭」に向けて一段と気合を入れていました。

 歌舞伎座「團菊祭五月大歌舞伎」は、5月3日(水・祝)から27日(土)までの公演。チケットは4月12日(水)、チケットWeb松竹チケットWeb松竹スマートフォンサイトチケットホン松竹で発売予定です。

2017/04/11