歌舞伎いろは

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大阪松竹座 「七月大歌舞伎」『菅原伝授手習鑑』「寺子屋」 今度の舞台を楽しく見るために

ようこそ歌舞伎へ 片岡仁左衛門

父、祖父からのやり方を守る

 ――「寺子屋」の松王丸は平成20(2008)年11月の歌舞伎座以来ですね。お祖父様の十一世仁左衛門さん、お父様の十三世仁左衛門さんと代々が大切にしていらしたお役です。

 6年ぶりとは思いませんでした。祖父は地味でリアルな人でした。小太郎の亡骸を野辺送りする「いろは送り」をせりふではなく、現在のように、義太夫で聞かせる型にしたのは祖父です。そういうところは踏襲し、きちっと守っていきたいです。

 上演当初は、きっと前半の松王丸は完全な悪人だったと思うんですよ。今は、ちらっちらっと性根を見せるやり方が増えています。そこの兼ね合いが難しいですね。

 ――初演は昭和41(1966)年3月の大阪・朝日座でいらっしゃいます。

 初演の頃は、首実検で我が子小太郎の首を見たときに、思わず涙が出てしまいました。とんでもないことでね。そこで涙が見えたら、玄蕃にばれてしまいます。

 ――首実検についてもう少しお教えください。背後には源蔵が控え、様子を春藤玄蕃が見守っています。仁左衛門さんは、刀の下げ緒を膝の下に敷かれますね。

 事が露見したときに、玄蕃に刀を取り上げられないための用心です。首実検ではいったん顔を上げてから、その首を見るために顔を下げていきますが、「見なければいけないけれど、我が子の首を見たくない」という心境ですから、なかなか目がいかない。首実検が見せ場になる芝居もいろいろありますが、この首実検が一番短い。一番長いのは『盛綱陣屋』の盛綱です。

 松王丸は首を見た瞬間に小太郎と気づき、そして「菅秀才の首に相違ない」と言う。浄瑠璃の本文では「若君菅秀才の首に相違ない」となっています。松嶋屋は本文を重視する家ですが、父や祖父からの「松王丸は藤原時平の家臣で、現在は菅原道真の敵方を装っているのですから、若君と言わないほうがよいということで、このせりふはカットしています。

『菅原伝授手習鑑』(すがわらでんじゅてならいかがみ)「寺子屋」(てらこや)

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撮影:平成20年11月歌舞伎座
(C)松竹株式会社

 寺子屋を営む武部源蔵は、主君菅丞相の嫡子、菅秀才をかくまっていますが、敵方の藤原時平から、菅秀才の首を渡すよう命じられ困り果てていました。寺子をその身替りにと思いついたものの、どの子見ても山家育ち…。しかし、今日寺入りしてきた小太郎が品もよく身替りにふさわしいのを見て、源蔵は妻の戸浪にその決意を明かします。間もなく現れた首実検役の松王丸と春藤玄蕃に、決死の覚悟で小太郎の首を差し出す源蔵。すると意外なことに、菅秀才の顔を見知っているはずの松王丸は、菅秀才の首に間違いないと断言して立ち去りました。

 源蔵夫婦がほっとしたのも束の間、小太郎の母、千代が我が子を迎えにやって来ました。やむなく斬りかかった源蔵に、千代は小太郎が御身替りの役に立ったかと尋ねます。驚くばかりの源蔵と戸浪。そのとき、再び寺子屋に戻ってきた松王丸は、実は小太郎が松王丸と千代の子だったことを明かし、その胸の内を語り始めるのでした。

源蔵とのかけひき

 ――仁左衛門さんは、お百姓が引き取りにきた寺子を玄関外で松王丸が検分する場面では、「めいめいが倅に仕立て、助けて帰る」の後で咳をされますね。

 「御意の趣き、おろそかには…」で咳をされる方もいらっしゃいます。しかし、父は「そういう手もある(百姓の子に仕立てて逃がす方法もある)」と源蔵に教える気持ちで言って、玄蕃が不審な顔をするので咳でごまかし、その後に「手もあること」と付けます。

 寺子屋の中に入ってからの、源蔵に「生き顔と死に顔は相好が変わる」と言う場面も、「偽首でも大丈夫だよ」と暗に教えているわけです。けれども、下手をすると、かえって源蔵が「これはまずいな」と思ってしまうので、最近は、あくまでも教える腹で、あまり強調はしません。

ようこそ歌舞伎へ

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