歌舞伎文様考
歌舞伎衣裳に刻まれた大陸の唐草文様
日本の唐草文様に大きな影響を与えたのは、中国です。
正徳5年(1715年)から享保2年(1717)年まで、大坂竹本座で、今でいうロングラン公演となった近松門左衛門作の人形浄瑠璃『国性爺合戦』には、中国で生まれた唐草をモチーフとした衣裳が多数登場します。
中国人の父と九州平戸浦に生まれた日本人の母との間に生まれ、中国に渡って明の復興をはかる和藤内(わとうない)という青年を主人公にした物語のスケールを感じさせるのが大陸様式の文様です。
シルクロードを経て伝わったギリシャ系の植物唐草文様とは別に、中国では動物をモチーフとした独自の文様が誕生しました。それは西洋的な視点から見ると「唐草」とは見なされないかもしれません。しかしこの雷文や動物文が、やがて誕生する唐草デザインの基礎を作ります。
龍文は中国で3千年以上の歴史を持つ文様です。漢の時代すでに天上界の生物と見なされていた龍は後に、天子の象徴とされ、宮廷用の食器や道具、衣裳には龍文をあしらったものが数多く残ります。
『国性爺合戦』の龍を円形にデザインした「龍の丸」と雲文を全身にあしらった衣裳は、江戸時代の日本人にとって大地を象徴するモチーフだったのでしょう。驚くことに、現代でもそのイメージはあまり変わっていません。
もうひとつ、中国ならではの文様が雲文様です。
同じく漢の時代、神仙などが登場する神話の世界に大陸の人々は強い憧れを抱きました。この時代の画像石(絵を刻んだ石材)やレンガやタイル、壁画には仙人が住むと信じられた雲が立ちこめる高い山々をモチーフとした雲文が目立ちます。
雲が渦を巻いて流れる様子をデザインした文様は、雲気文と呼ばれその形や色調が吉凶を表しました。渦巻く雲の形は神意を告げるメッセージであり、邪を避けるものとみなされていました。
歌舞伎の衣裳や大道具にはこうした雲文をあしらったものが多く残ります。中国で文様ラッシュとなった漢時代の龍文や雲文の面影を、日本で文様ラッシュを迎えた江戸時代の歌舞伎が映している。舞台に溢れる文様を通して、遥かなる歴史に思いを馳せてみるのもいいかもしれません。

『国性爺合戦』 雲に龍の衣裳
(海老茶繻子龍に雲柄唐服)

『国性爺合戦』 龍の丸の衣裳
(龍の丸織物四天)

『浮世柄比翼稲妻』(鞘当)
不破伴左衛門の雷雲の衣裳
歌舞伎文様考
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