『瀬戸本業染付鉄彩花文敷瓦』(株)INAXライブミュージアム蔵

一枚のタイルの物語『瀬戸本業染付鉄彩花文敷瓦』

 古くはエジプト、メソポタミアの建造物にもその存在が確認されている文様。
 人類が歩んで来た長い歴史の中で、文様はそれ自体が生命を持つがごとく、長く茎葉を伸ばし世界中に広がってきました。その文様の歴史に欠かせないのがタイルを中心とした陶板です。

 INAXのタイル博物館に所蔵されている貴重な作品の中から、今回ご紹介するのは『瀬戸本業染付鉄彩花文敷瓦』です。

 日本建築に欠かせない瓦は、もともと飛鳥時代に大陸の百済より伝えられたものです。奈良時代には法隆寺など神社仏閣の床に敷瓦が今でいうタイルのように使用されはじめ、江戸時代になると草花文などの文様が描かれ施釉が施され建物を鮮やかに飾るようになります。現存する最古の施釉敷瓦は、愛知県瀬戸定光寺のもので、尾張初代藩主徳川義直の廟に敷かれています。古瀬戸釉(鉄釉)を掛けた上に黄色い釉薬で唐草、唐花文様が対角線上に描かれた見事なもので、大陸から伝わった装飾の名残が見られます。この敷瓦を制作したのは幕末以降、敷瓦の生産が盛んだった瀬戸の陶工たちです。

 江戸末期に敷瓦に描かれた文様は、手書きのものや、印花と呼ばれるスタンプを押して凹凸をつけたものなど幅広いバリエーションがあります。ところが、明治時代になりイギリスから多くの装飾タイルが輸入されると、その加飾技術を取り入れ装飾を模倣したものが瀬戸で作られるようになります。今回ご紹介するこの染付鉄彩花文敷瓦には、当時最先端だった印刷プリント技術が応用されています。呉須(コバルト)の青色による印刷と鉄の赤茶色による印刷を重ね合わせた高度な印刷技術は当時の職人たちの探究心と丁寧な仕事ぶりを今に物語ります。

 デザインにも西洋の影響を感じます。縦横の軸だけでなく対角線の2軸にも対称に細密な草花文様が描かれることで、碁盤の目のようにも斜め格子状に貼っても文様の連続性が得ることができます。この様式は、イギリスのビクトリアンタイルにも数多く観ることができる文様の配置です。

 イギリスのビクトリアンタイルの文様と日本のタイルの文様には共通点が多くあります。これは、19世紀に欧州で起こったジャポニズム(日本趣味)の影響でもありますが、欧州のデザイナーが日本の古くからの文様に学び新しい技術で展開し、これを日本の職人が新しいものととらえて模倣する構図は、今も昔も変わらないようです。

写真協力・(株)伝統文化放送、松竹衣裳(株)

歌舞伎文様考

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