恋文をまとう“紙衣”という発想

 和事を象徴する衣裳の文様に、紙衣に描かれた文字文様があります。
 例えば『廓文章 吉田屋』で、実家から勘当されながらも愛しい恋人・夕霧に会うため廓に出向く伊左衛門が身につけた衣裳。この紙衣は、江戸時代は文字通り、書簡用の和紙を揉み、貼り合わせて仕立てました。現在では縮緬などで作られていますが、紙衣は落ちぶれた者の悲哀感を出す歌舞伎独特の衣裳です。この作品の中で伊左衛門の衣裳に綴られた文字を読み解くと、描かれているのは恋文。夕霧からもらった恋文を着物に仕立て、身につけている伊左衛門の一途な気持ちを衣裳が静かに物語っているのです。

 紙衣は、古く東大寺のお水取りの装束である白紙衣の制作技法より伝えられたものと言われています。
 和事の創始者と言われる元禄期の名優坂田藤十郎は、自分の芸を引き継ぐ者に紙衣を譲る“紙衣譲り”を舞台で行いました。このエピソードを聞くだけでも、紙衣が和事においていかに重要だったかがわかります。

 また言葉を文様とした「文字文様」は、字文とも花字文とも呼ばれますが、通常の文様としては吉祥の意味を持つものが多く使われます。例えば「寿」の文字を百種類書き分けて文様とした「百寿文」、「千秋万歳」「延年益寿」といった四文字を文様としたものも多く見られます。

 手紙の文面を転写した独創的な文様のルーツは、平安時代に生まれた葦手文様にあります。日本特有の文字である「かな」が平安中期に発明されると、その仮名文字を葦の葉がなびくように描いた葦手文様が盛んに使われるようになります。こうした葦手文様は詩歌と結びつき、やがて歌の一部と関連する絵柄とともに画中に書き込まれ、もののあわれや自然感情を呼びおこす歌絵となってゆきます。この独創的な葦手文様は鎌倉時代以降、衰退しますが、葦手風の字文はその後もさまざまに考案され、判じ絵的要素や字隠しのような工夫も加わり、江戸時代まで長く展開されました。


『廓文章』伊左衛門の衣裳(部分)、紫縮緬黒縮緬文字繍紙衣仕立着付(むらさきちりめんくろちりめんもじぬいかみこじたてきつけ)。「恋しく」などの文字が読み取れる。


百寿文錦(ひゃくじゅもんにしき)。西陣織の経錦織(たてにしきおり)の古帛紗。資料提供(株)ほんぢ園(岡山市)


押型千秋万歳敷せん 前漢 長安未央宮出土 資料提供:INAX世界のタイル博物館



歌舞伎文様考

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