『伊万里色絵花文六角腰瓦』(株)INAXライブミュージアム蔵

一枚のタイルの物語『志野釉菱重ね文(しのゆうひしかさねもん)敷瓦』

 古くはエジプト、メソポタミアの建造物にもその存在が確認されている文様。人類が歩んで来た長い歴史の中で、文様はそれ自体が生命を持つがごとく、長く茎葉を伸ばし世界中に広がってきました。その文様の歴史に欠かせないのがタイルを中心とした陶板です。

 今回はINAXのタイル博物館に所蔵されている貴重な作品の中から、『伊万里色絵花文六角腰瓦』をご紹介します。

 伊万里と表される伊万里焼は、伊万里港から船で出荷された有田焼を含む肥前一帯の磁器の総称で、1610年(江戸時代)頃に朝鮮半島から来た陶工によって誕生したとされています。その種類は多様で、白地に青色の顔料(呉須)で下絵付けをした染付から始まり、1640年代に柿右衛門によって赤の顔料で上絵付けされた赤絵や、赤の他に緑、黄色、紫、青などの色絵具で上絵付けされた色絵が生まれました。

 伊万里と言えば、色絵(赤絵)の創始者として知られる初代柿右衛門が庭先の柿の木の実を見つめながら困難を乗り越え、赤絵を完成させた有名な逸話はご存知の方も多いのではないでしょうか。ところがこの話は、大正元年(1912)十一代目片岡仁左衛門が歌舞伎で初演した「名工・柿右衛門」で始めて演じられたフィクションだそうです。ただし、初代柿右衛門が日本で始めて赤絵を完成させるためさまざまな苦悩と困難を乗り越えてきたことは事実で、この時の苦労は柿右衛門家に残る赤絵創業のいきさつを記した「覚」に書かれているそうです。
 伊万里焼創始のころ盛んに作られた「染付」では、青顔料の成分であるコバルト(呉須)の発色は安定しており比較的容易に青色を得ることができました。対して酸化鉄の赤発色は非常に難しいことで知られています。

 顔料の粒子の大きさや焼成条件が少しでも違うと同じ赤色を発色させることはできません。さらに顔料を調整し、美しい色が出る焼成の温度や時間といった条件を見つけ出すのも至難の業です。さらに赤色を鮮明に発色するために下地となる素地の白さも重要となります。

 柿右衛門窯では、濁手(にごしで)と呼ばれる青みを極力取り去った特別に白い素地を用いることで明るい色調の色絵を得ています。今回紹介するタイルもまた、素地の白さがその上に描かれる色合いを決定付けています。鮮やかな赤を演出するために欠かせない余白の美を改めて感じさせてくれる一枚です。

文:愛知県常滑市INAXライブミュージアムものづくり工房 後藤泰男

写真協力・(株)伝統文化放送、松竹衣裳(株)

歌舞伎文様考

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