文様が語る細やかな心情

 和事はきめ細かく、か弱く、繊細な芸を見せる芝居。紙衣を着る男は、思わず女が羽織をかけてやりたくなるような母性本能をくすぐる優男(やさおとこ)であり、そのしなをつくる男が葦手風の字文がなよなよと這う紙衣を着ることで色気と風情が醸し出されます。

 和事の典型的な人物によく見られるのは、零落「やつし」の境遇です。傾城(遊女)に金を注ぎ込んで勘当された大家の若旦那や、遊蕩に耽り家を追放された大名の若殿。幼い頃から何の苦労もなく育った男が浮世の風に晒され、流浪の果てに馴染みの傾城のもとに忍んできて、口説をしたり、濡れ場を演じたりする。この独特の薫りを立ち上らせる「やつし」の確立により、和事は完成した、と言っては言い過ぎでしょうか。

 中間色の美しい着物は、凋落した男を優しく受け入れる遊女たちの「はんなり」とした気質を語り、男たちに宿るやつしのエッセンスを物語り引き立てるのが、紙衣や字文の存在だった。和事の衣裳には、美意識とこころのままに生きる人間からにじみ出る情が共存しているように思われます。

伊藤俊治

『廓文章』伊左衛門の衣裳、紫縮緬黒縮緬文字繍紙衣仕立着付(むらさきちりめんくろちりめんもじぬいかみこじたてきつけ)


伊藤俊治

伊藤俊治
1953年秋田生まれ。東京藝術大学先端芸術表現科教授、美術史家・美術評論家。美術や建築デザインから写真映像、メディアまで幅広い領域を横断する評論や研究プロジェクトを行なう。装飾や文様に関する『唐草抄』や『しあわせなデザイン』など著作訳書多数、『記憶/記録の漂流者たち』(東京都写真美術館)『日本の知覚』(クンストハウス・グラーツ、オーストリア)など内外で多くの展覧会を企画し、文化施設や都市計画のプロデュースも行なう。『ジオラマ論』でサントリー学芸賞受賞。


歌舞伎文様考

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